2012年1月4日水曜日

「国生み」は、戦争か?平和か?の政治哲学論争

ウワイト(倭人)大学講義録

『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録24:6頁

「国生み」は、戦争か?平和か?の政治哲学論争
「国生み」は、戦争か?平和か?の政治哲学論争


それは後の『一書』に理由が書いてある。

*日と月を生み、次に蛭(ヒル)児を生んだが、

年すでに3歳に満ちたが脚なお立たず。

これは伊弊諾・伊弉冉尊が柱をめぐったとき、

女神が先に喜びの声を発して、陰陽の道に反した。

それが原因で今、そんな蛭児が生まれたのだ。

だから船に蛭児を乗せて

、流れのままに流し棄ててしまったのだ*というのである。

一書の数が多く、それぞれ書き方も異なっているが、

女性上位は駄目だというのは変わらない。

他の一事には、淡洲もその時、

やはり船で流してしまったと書いてある。

この寓話がいうのは、男女の2神が国生みをしたが、

女性の主張に従うと成功しなかった。

そこで、やり直して男性の意見に従うと国々と貴子たちが生まれた。

ということなのである。

これは何を寓した話なのだろう?。

キーはあの玉と剣である。

玉は女性の主張で「平和」の象徴。

剣は男性の主張で、いうまでもなく戦争である。

だから女神は「国生み」=支配圏の拡張を平和的に行なおうとし、

男性はそれでは面倒だと武力による領土拡張を主張した。

結果は先に実行した女王の方はうまく行かず、

後で決行した天皇の方が現実に国土を手に入れた。

履中天皇の話とすれば、

淡路島から出撃して津名は茅沼になり紀の国になったのに、

皇后の主張した方法では小さな淡島神社が残っているだけ、

ということなのである。

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