ウワイト(倭人)大学講義録
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:6頁
《「国生み」は、戦争か?平和か?の政治哲学論争》
《「国生み」は、戦争か?平和か?の政治哲学論争》
それは後の『一書』に理由が書いてある。
*日と月を生み、次に蛭(ヒル)児を生んだが、
年すでに3歳に満ちたが脚なお立たず。
これは伊弊諾・伊弉冉尊が柱をめぐったとき、
女神が先に喜びの声を発して、陰陽の道に反した。
それが原因で今、そんな蛭児が生まれたのだ。
だから船に蛭児を乗せて
、流れのままに流し棄ててしまったのだ*というのである。
一書の数が多く、それぞれ書き方も異なっているが、
女性上位は駄目だというのは変わらない。
他の一事には、淡洲もその時、
やはり船で流してしまったと書いてある。
この寓話がいうのは、男女の2神が国生みをしたが、
女性の主張に従うと成功しなかった。
そこで、やり直して男性の意見に従うと国々と貴子たちが生まれた。
ということなのである。
これは何を寓した話なのだろう?。
キーはあの玉と剣である。
玉は女性の主張で「平和」の象徴。
剣は男性の主張で、いうまでもなく戦争である。
だから女神は「国生み」=支配圏の拡張を平和的に行なおうとし、
男性はそれでは面倒だと武力による領土拡張を主張した。
結果は先に実行した女王の方はうまく行かず、
後で決行した天皇の方が現実に国土を手に入れた。
履中天皇の話とすれば、
淡路島から出撃して津名は茅沼になり紀の国になったのに、
皇后の主張した方法では小さな淡島神社が残っているだけ、
ということなのである。
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