2012年1月7日土曜日

アレクサンドロス王家に遡る政治哲学論争の伝統

ウワイト(倭人)大学講義録

『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録24:9頁

アレクサンドロス王家に遡る政治哲学論争の伝統
アレクサンドロス王家に遡る政治哲学論争の伝統

これで、伊弊諾・伊弉冉の「天の瓊矛」とは、

「天=チヌ=津名=柱=磤馭盧で帝柱すなわち政権」を意味し、

「瓊=玉=平和」と「矛=剣=戦争」は、

政字哲学を意味する象徴だったとわかった。

伊弊諾・伊弉冉2神の男尊女卑の話に見えた天柱寓話も、

天照と素戔鳴の争いも、

ともに戦争と平和という政策の対立を描くものだったのである。

すると、もう思い出して戴いたと思うが、

全く同じテーマ、同じ悲劇が、

はるか西方のギリシャにもあった。

それはアレクサンドロスの両親が、

父の武力による征服統一礼讃と、

母の宗教による平和と融和の理想との対立が高じて、

遂に母の手で父が暗殺されるという悲劇に終った史実だ。

『記・紀』の冒頭を飾る「国生み」に、

同じテーマが取り上げられている事実に不注意であってはならない。

なぜ?わが国の正史が、肉親の男女による

「戦争か?平和か?」という

哲学論争の描写の繰り返しで始まるのか?…と考えると、

その根にはアレクサンドロス王家の深刻極まりない悲続く、

古代のわが国の最高指導者の胸にも、

拭い去れぬ圧倒的な陰影を深く刻んでいたことがみえてくる。

だから殊更に、この人類永遠の宿命とでもいうべき論争が、

繰り返し『記・紀』の寓話の主題になっているのである。

ところが中国の正史に登場する支配者の男女関係は、

もっと低い所で止まっていることも、見逃してはならない。

『My ブログ』
ウワイト(倭人)大学講義録
古代史ブログ講座
歴史徒然
ネット歴史塾
ウワイト(倭人)ウバイド        
オリエント歴史回廊(遷都)    
古代史の画像 
歴史学講座『創世』うらわ塾
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」         
ひねもす徒然なるままに  
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
メソポタミア世界
シュメル-人類最古の文明 
The ETCSL project,Faculty of Oriental Studies, University of Oxford

『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
ひねもす徒然なるままに

0 件のコメント: