ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年1月13日金曜日
定義 「天の御柱めぐり」の作者は舎人親王
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:15頁
定義 「天の御柱めぐり」の作者は舎人親王
定義 「天の御柱めぐり」の作者は舎人親王
『儀鳳暦』は、唐の麟徳2年に完成した暦で、天武天皇5年にわが国に伝わった。
その時が唐の儀鳳2年だったので、わが国では儀鳳暦と呼ぶ。
『元嘉暦』は南宋の元嘉20年に作られて、
推古天皇の時、百済僧・観勒(カンロク)が天皇に伝えたが公式には使われず、
持統天皇4年12月になって、始めて公式に使いはじめたが、
これも僅か7年で廃止して儀鳳暦に改められ、
以後67年間、儀鳳暦が公式暦として使われた。
神武天皇元年の元旦=1月1日が、
今の暦では2月11日であるように、暦にはそれぞれ特徴がある。
『日本書紀』に書かれた年月日と干支を調べると、
それがどんな暦によるものかが直ぐわかるから、
『元嘉暦』による年月日は、持統天皇時代の7年間に記入したことが、
はっきり証明され、定義できる。
『儀鳳暦』は、その『元嘉暦』が廃止された後の暦だから、
『儀鳳暦』を使っている部分は、その後で編集されたことも、
またはっきり証明され、定義できる。
そこで実際に調べて見ると、
『日本書紀』の記年は、
前の方が『儀鳳暦』、後の方が『元嘉暦』で、逆になっている。
前の方のその部分は「後で書き足したものだ」と、明確に定義できるのである。
舎人親王は間違いなく後から書き、編集したのだから、
問題の「天の御柱めぐり」は舎人親王の作品である。
この定義は崩れることはない。
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