2012年1月20日金曜日

『記・紀』を生んだのは天皇たちの危機感



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録24:22頁

 『記・紀』を生んだのは天皇たちの危機感
 『記・紀』を生んだのは天皇たちの危機感

 それをみると、天智天皇は、まず自分の歴史から手をつけたことは明らかである。

 それが永遠に信じて貰えることが、願望だったことも疑いない。

 元明・聖武の2帝が即位に際して、

 ことさらに『典=不改常典(ふかいじょうてん)』を詔に入れたのは、

 「今後は絶対に改定されることのない歴史になって欲しい」という

 天智天皇の願いを再確認し、それを必ず守ると宣誓するすることが、

 皇位継承者最大の義務であり、それが皇統を守ることであり、

 国家の平穏の礎(いしずえ)なのだという国民に対する教育を含んだ、

 『即位の宣誓』だったからである。

 だから天智天皇の場合は、その修史の動機が明瞭である。

 天武天皇もまた革命の正当性を主張する必要は天智天皇に劣らなかった。

 これまた天智天皇の『不改常典』を直ちに改革する必要に迫られていた。

 彼が洩らしたという『古事記』序文にある

 「朕、聞く、諸家のもつ帝紀および本辞、すでに正実に違い、多く虚偽を加う」と

 非難した言葉は、間違いなく天智天皇が残した『原・日本書紀』をさしている。

 天武天皇としては、それ以外の古い歴史など、どうでもよく、

 気にする必要などなかったはずだからである。

 こうした天皇たちの立場が、その心理を考えることで、よく読みとれる。
 
 過去の『記・紀』の解説には、それがごくお座なりか、全く見当たらないから、

 信頼がおけないのである。

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