ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年1月20日金曜日
『記・紀』を生んだのは天皇たちの危機感
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録24:22頁
『記・紀』を生んだのは天皇たちの危機感
『記・紀』を生んだのは天皇たちの危機感
それをみると、天智天皇は、まず自分の歴史から手をつけたことは明らかである。
それが永遠に信じて貰えることが、願望だったことも疑いない。
元明・聖武の2帝が即位に際して、
ことさらに『典=不改常典(ふかいじょうてん)』を詔に入れたのは、
「今後は絶対に改定されることのない歴史になって欲しい」という
天智天皇の願いを再確認し、それを必ず守ると宣誓するすることが、
皇位継承者最大の義務であり、それが皇統を守ることであり、
国家の平穏の礎(いしずえ)なのだという国民に対する教育を含んだ、
『即位の宣誓』だったからである。
だから天智天皇の場合は、その修史の動機が明瞭である。
天武天皇もまた革命の正当性を主張する必要は天智天皇に劣らなかった。
これまた天智天皇の『不改常典』を直ちに改革する必要に迫られていた。
彼が洩らしたという『古事記』序文にある
「朕、聞く、諸家のもつ帝紀および本辞、すでに正実に違い、多く虚偽を加う」と
非難した言葉は、間違いなく天智天皇が残した『原・日本書紀』をさしている。
天武天皇としては、それ以外の古い歴史など、どうでもよく、
気にする必要などなかったはずだからである。
こうした天皇たちの立場が、その心理を考えることで、よく読みとれる。
過去の『記・紀』の解説には、それがごくお座なりか、全く見当たらないから、
信頼がおけないのである。
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