2012年1月6日金曜日

卑弥呼史を明確に定義する玉と剣の対立

ウワイト(倭人)大学講義録

『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録24:8頁

卑弥呼史を明確に定義する玉と剣の対立
卑弥呼史を明確に定義する玉と剣の対立

この玉と剣の対立は、これでお終いにはできない。

天照大神と素箋鳴の尊の話も片付けてしまおう。

それは何を定義するのであろうか?。

天照大神は卑弥呼。

その時の素戔鳴の尊は位宮=垂仁天皇である。

卑弥呼は観世音菩薩の本尊だから愛・慈悲・平和が教義である。

玉が象徴なのは当然すぎるほど当然である。

だから魏が公孫氏を攻めた時、

それを絶好の好機ととらえて、

攻撃に先だって特使を派遣して、

魏との友好関係を樹立し、

親魏倭王になるという、

外交戦略での大成功をおさめた。

それに引きかえ位宮は、

一時は魏に味方して公孫氏を攻めたが、

それが滅ぶとその旧領に侵入して暴れた素戔鳴である。

魏が母丘倹(カンキュウケン)を派遣して高句麗を攻め、

位宮は辛うじて脱出して道の大人(うし)の海軍に救われて琉球へ帰ったが、

終始戦いを主義とした剣の人だった。

そしてついには卑弥呼政権を滅ぼし邪馬壹国政権を樹て、

新羅を建国して半島にまで勢力を伸ばした。

2代目の神功集団であって、

それが倭国大乱後の倭人連邦をうまく維持した。

しかし魏と戦って敗れた位宮は主戦論者で対立し、

ついに天照大神を岩戸隠れさせてしまったのである。

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