2012年1月16日月曜日

定義 舎人親王が加上した『儀鳳暦』部分



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録24:18頁

 定義 舎人親王が加上した『儀鳳暦』部分
 定義 舎人親王が加上した『儀鳳暦』部分

 舎人親王は正式に、養老4年5月に『紀』30巻、系図1巻を奏上した。

 彼が後から書き加えた「加上」部分は、

 国家の決めた正規の暦の現行『儀鳳暦』が当然のこととして使われ、

 仮に他の暦が混入していても、

 それらは全部、奏上時までに訂正されたのである。

 川島皇子は天武天皇10年に帝紀と上古諸事を記定せよと命ぜられて、

 持統天皇5年9月に亡くなった。

 記録にはないが、舎人親王の『紀』30巻、系図1巻は、

 それを引き継いだものだとされているが、

 『日本書紀』の内容が膨大なことを考え、

 またそれに類する別のものが提出されていないのをみると、

 この推定が正しいと考える以外にない。

 しかし親王が引き継いだのは、『元嘉暦』部分だけで、

 『儀鳳暦』部分は文武天皇以後に、

 舎人親王が新たに書き加えたものである。

 それは当時の政情と親王たちの地位とを考えると、

 他の名もなき人物が、

 この引き継ぎに介在する余地がないことは明白で、

 これも他に代案を考えようがない。

 史実である。

 これで『日本書紀』の加上部分は全て舎人親王とそのブレーンの創作加筆だと確定した。

 すると同じ「天の御柱」寓話を、

 同じ順序で掲載している『古事記』が、

 養老4年以前には存在するはずがないことになる。

 『古事記』序文は、大ウソだったのであろうか?。

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