2012年1月23日月曜日

『日本書紀』は矛盾を覚悟で編纂した苦肉の作品



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録24:25頁

 『日本書紀』は矛盾を覚悟で編纂した苦肉の作品

 これを講義録(院)22の『記・紀』の『定義』のうち、

 関連のある部分と再照合してみよう。

 * 『記・紀』は、倭国と日本国が合併したから必要になって作られた国史だった。

  双方の旧国民を納得させるためには、双方の天皇たちを、

  全部、皇祖皇宗として記録しなければ、必ず内乱が起こる。

  しかし本来、別々の系図に並んだ先祖代々の系譜を、

  2本並べて併記することは出来るが、それでは将来に禍根を残すから、

  倭国と日本は古来、1つの国であったとして、国史を書き直したのである。

  2本の系図を1本にするには、同時存在を全て父か子の位置こ移さなければならない。

  『記・紀』は最初から、こうした矛盾を覚悟して、過去を犠牲にして、

  未来の安定・幸福を願って作られた、苦肉の作品なのである。

  だから『日本書紀』は、その書名がはっきり証明しているように、

  もと小国日本の王・天智天皇が企画した国史なのである。

  仮に天武天皇が企画したのなら、書名に日本などとつけない。

  『日本書紀』は間違いなく天智天皇が編纂させた「日本国の国史」だったのだ*

 これが、のちの天皇たちに、ただ『典』とだけ呼んでも、

 知らぬ人のいない『不改常典』=『原日本書紀』だったことは、

 もう疑う余地がない。

 しかしそれは天武天皇の未来志向で必ず改定される運命にあった。

 天智天皇による倭国と日本の統一は、さらに複雑化した。

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