2011年11月29日火曜日

卑弥呼を神功皇后にした2つの遺志



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録22:31頁

 《卑弥呼を神功皇后にした2つの遺志
 《卑弥呼を神功皇后にした2つの遺志

 また若き卑弥呼の神功皇后としての活躍は朝鮮半島にも及んだ。

 いわゆる三韓征伐である。

 その事実を記録しているのが、息長帯姫という名乗りである。

 息長はソナカへの当て字で、

 帯は帯方郡、すなわち半島中部の帯状地帯をさす中国名だった。

 そこは魏が景初に公孫氏を滅ぼすまでは、

 漢政権の衰えで郡とは名のみの自治区であり、

 公孫氏が税を懐に入れていた。

 卑弥呼はそこを仏教圏にして実質的支配下に置いたのである。

 それが可能だったのは彼女が、

 高句麗まで支配していた孝霊天皇の皇女だったからで、

 「三韓征伐」などという侵略行為があったわけではない。

 そこの住民は稲作に適さず無人に近い土地を改良して、

 次第に定着していった南九州からの移民だったのである。

 それを立証しているのが半島南部の地名である。

 下記の、伽耶時代の地名比較をご覧いただけば、

 その史実は一目瞭然である。

 こうして卑弥呼は海を越えて五彩圏を拡大した。

 それはソナカ=仲哀天皇の遺志であると同時に、

 アレクサンドロス大王の遺命だった

 八紘一宇の実現でもあったのである。

 卑弥呼が、

 魏が極秘で進めた公孫氏抹殺作戦を事前に予知して

 難升米らを派遣した事実も、

 この五彩圏情報網の存在がわかれば、

 偶然ではなかったことがわかる。

 それは記録通り景初2年6月でなければ意味をなさない。

 景初3年説は、無知を暴露しているだけなのである。

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