ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年11月27日日曜日
彦五十狭芹彦(戦さの君)が仲哀天皇
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録22:29頁
《彦五十狭芹彦(戦さの君)が仲哀天皇》
《彦五十狭芹彦(戦さの君)が仲哀天皇》
しかし、この『定義』はまだ、論理的に正しいと言えるだけで、
それによって納得がいくまで真実の史実が復元できなければ、
在来の学説同様、屁理屈の域を出ない。
だから、この『定義』が正しいかどうか?をみるために、
仲哀天皇を正しい時代の正しい位置に戻せるかどうか?、検証してみよう。
言語復原史学では、
『記・紀』の天皇系譜は、
次の天皇夫妻を共に皇子女として併記していることを発見している。
妻は妹の位置に居る。
だから孝霊天皇の系譜には、
卑弥呼=倭迩迩日百襲姫の夫・ソナカ=仲哀天皇が、
必ず入っていなければならない。
その手掛かりは、彼の様々な別名である。
すると先に見たように天日矛に対応する
泄謨觚柄渠觚(シモクァピンチュウクァ)が
『魏書倭人章』の官名記録にある。
これに非常に近い
シモキビツヒコ=下吉備津彦が原型とみるしかない
「吉備津彦」が、その中に入っている。
彼は五十狭芹彦=イッサンキン=「戦さの君」
という名乗りももっているから。
葦原中国を取るために派遣された
(ソナカも倭国を仏教圏に入れるために派遣された)勇士であり、
そのため戦死した天稚彦=仲哀天皇に完全に合う条件が、
幾重にも揃っている。
すると彼は系譜では百襲姫の兄の位置に書かれているから、
その夫であったとみて間違いない。
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