ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年11月2日水曜日
『記・紀』の実態は過去の文献批判の欠落部分にある
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録22:4頁
《『記・紀』の実態は過去の文献批判の欠落部分にある》
では「『日本書紀』とは、こんな文献だ」と、はっきり断定することは、
そんなに難しいことなのだろうか?。
これまで本講でも、『記・紀』とは、こんな本だという論議を重ねてきた。
それなのに今になってもまだ、
こんな問いかけが必要なのは、なぜなのだろう?。
それは『日本書紀』が編集された時の
国家事情=倭国が消えて日本になったという大変動。
それも
「天智天皇による革命と、
その政権を倒した天武天皇の逆革命という特殊事情が
『記・紀』を生んだ」という明確な事実が、
常識として存在しているからなのである。
そのために議論は、どうしてもこの新史編纂という「動機」に眼を奪われてしまい、
誰がいつ、どんな風に、何をもとに、どう作り上げたか、
といった論議に終始し、
それによって『日本書紀』なり『古事記』なりを「定義」しようとしてきた。
しかしそれらは文献の「編集経緯」にしか過ぎない。
批判し結論を出すべき本体は「文献の記事」でなければならないのに、
これまでは、
それに気づかず、本質的な内容分析をした者がいなかったのである。
だからどんなに編纂者の心理などを掘り下げてみても、
文献そのものの本質を知り、
それを断定したり、規定することなどできるはずがない。
天皇や編集者たちは作者でも著者でもなく、
単に寄せ集めただけの編集者に過ぎないからである。
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