2011年11月28日月曜日

吉備と播磨に濃厚に残る伝承と倭国の誕生



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録22:30頁

 《吉備と播磨に濃厚に残る伝承と倭国の誕生
 《吉備と播磨に濃厚に残る伝承と倭国の誕生

 彼はその名乗りで吉備すなわち広島、岡山県と結びついているが、

 その付近には神功皇后関係の伝説や遺跡だとされるものが濃厚に分布しており、

 卑弥呼のヒメコに対する当て字の一つ・

 姫児を姫路と書き替えた都市も近く、

 天皇が彼に住めと与えたという淡路島もある。

 そこは播磨で、

 巴利国(ハリま)の人々の移動発展の跡であることは、

 よくご存じの通りだ。

 天日槍の伝承がその北部の

 但馬の宍粟(しさわ)や出島(出石(いづし))を挙げ、

 彼の子孫が但馬で栄えたというのもまた、

 吉備津彦伝承を伝えた人たちの子孫が、

 次第に拡大した地域としてみれば、実に美事に適合している。

 そして何よりも仲哀天皇の行動範囲が、

 東は福井県の角賀(敦賀)から、

 西は九州の伊覩県(イトのあがた)の間にあり、

 伊覩の五十迩手の献上品を受けるが、

 都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)も伊都都比古と会う。

 この名は

 五十迩手(イトトテ・イトツ)と

 伊都都(イトト・イトツ)で

 同じ名の当て字差だとすぐわかるから。

 もとの史実は1つだ。

 けれど仲哀天皇と神功皇后はスレ違って少ししか逢えない。

 会ってすぐ戦死する。

 しかしソナカの遺志を継いだ

 卑弥呼は宣布団のアマゾン(天孫=尼僧)1000人を率いて

 憂婆畏(ウワイ)女王として転戦し、ついに共立されて連邦の女王になる。

 それを帯方郡使は準国名として同音の

 倭(ウワイ)=ウワイの字を当て字して報告書を作った。

 これが倭国誕生の真相なのである。


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