2011年11月11日金曜日

日矛も下照姫も伊都国官名の泄謨觚


 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録22:13頁

 《日矛も下照姫も伊都国官名の泄謨觚

 《日矛も下照姫も伊都国官名の泄謨觚


 ⑧ このことは、妻の名が下照姫で別名を高姫・稚国玉ということでも、立証されている。

   下はシタでなくシモと読むと、シホコをシボコ・シモコと発音するのに合う。

   シボコという名は『魏書倭人章』の伊都国の副官名

   「泄謨觚=シボコ・シモコ」 に一致するから、実在は疑いない。

   これは官名であって個人名ではないから幾人もの泄謨觚がいる。

   帯方郡使が記録した時期は<卑弥呼>がすでに老女になってからで、

   夫の<天推彦>はとっくの昔に死んでしまっているが、彼が生前に、

   この同じ官名を
   
   もっていたから、天推彦や天日矛と呼ばれていたことは間違いないとわかる。

   夫妻の名乗りは同じでなければならないから、その官名があったから、その妻だった

   卑弥呼も下照姫と呼ばれていたとみると、下はシモに間違いないが、

   照はテがつくから天の発音変化だと見るほかない。

   薩摩・大隅語では、照るはテッかティである。

   これに助詞の「ン」がつくとテンかティンになるから

   「天」の当て字は不思議ではない。

   このことで、天稚彦や天日矛は、アメチビコやアメノシボコではなくて、

   テンチビコ・テンシボコだったのだと確認できる。

   この稚国 (ワカ)をワカと読むと稚国玉はワカタマで、

   これはアカタマと聴く人 のいる名である。

   下照姫の下もシモと読むとシロと紛らわしいから、

   白玉という表現に変わった可能性がある。


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