ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年11月11日金曜日
日矛も下照姫も伊都国官名の泄謨觚
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録22:13頁
《日矛も下照姫も伊都国官名の泄謨觚》
《日矛も下照姫も伊都国官名の泄謨觚》
⑧ このことは、妻の名が下照姫で別名を高姫・稚国玉ということでも、立証されている。
下はシタでなくシモと読むと、シホコをシボコ・シモコと発音するのに合う。
シボコという名は『魏書倭人章』の伊都国の副官名
「泄謨觚=シボコ・シモコ」 に一致するから、実在は疑いない。
これは官名であって個人名ではないから幾人もの泄謨觚がいる。
帯方郡使が記録した時期は<卑弥呼>がすでに老女になってからで、
夫の<天推彦>はとっくの昔に死んでしまっているが、彼が生前に、
この同じ官名を
もっていたから、天推彦や天日矛と呼ばれていたことは間違いないとわかる。
夫妻の名乗りは同じでなければならないから、その官名があったから、その妻だった
卑弥呼も下照姫と呼ばれていたとみると、下はシモに間違いないが、
照はテがつくから天の発音変化だと見るほかない。
薩摩・大隅語では、照るはテッかティである。
これに助詞の「ン」がつくとテンかティンになるから
「天」の当て字は不思議ではない。
このことで、天稚彦や天日矛は、アメチビコやアメノシボコではなくて、
テンチビコ・テンシボコだったのだと確認できる。
この稚国 (ワカ)をワカと読むと稚国玉はワカタマで、
これはアカタマと聴く人 のいる名である。
下照姫の下もシモと読むとシロと紛らわしいから、
白玉という表現に変わった可能性がある。
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