ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年11月1日火曜日
国民を不幸にし続けてきた倒錯した「建国紀元」観
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録22:3頁
《国民を不幸にし続けてきた倒錯した「建国紀元」観》
大学院講義録21で、
過去に「皇紀」と呼ばれていた神武紀元が、どういうものだったか、
初めて明かに理解することができた。
戦前はそれを理由もなく自賛の材料にして、世界敵視、
孤立滅亡への奈落に国民をおとしいれたし、
戦後はそれを無知な先祖の出鱈目さの証拠だとして、
国民を自暴自棄に導く、左翼あるいは自由主義者らの、
強力な自虐論拠にされてきた。
その背景に、国粋主義者とされてきた
本居宣長の『日本書紀』罵倒=『讖緯説』があったことは何とも皮肉の限りである。
彼を本居神社に祭りあげたのが右翼「皇紀」礼讃者たち、
彼の『日本書紀』非難に同調したのが左翼・自由指導者たち。
どちらもまるで反対のことを実行して、そのオカシさに全然気づいていない。
またこのことを指摘した学者も存在しない。
在来の我が国の指導者?らは、
こんな程度の知識と知性しか持っていなかったのである。
しかし私たちは、私たちの先祖が初めて国家体制を整えて、
『国家』という意識を明確にもったのはいつだったかという
最も重要な文化発展段階を、確実にとらえることができた。
またそれを『日本書紀』が紀元前660年だとした根拠まで、
完全に正確に知ることができた。
在来の『日本書紀』に対する疑惑と不信感の最大のものが、
これで完全に一つ払拭された。
しかし「『日本書紀』は全面的に信頼できる文献だ」というには、まだ程遠い。
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