2011年11月25日金曜日

本来不可能な統一隠しを強行した『記・紀』編纂



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録22:27頁

 《本来不可能な統一隠しを強行した『記・紀』編纂
 《本来不可能な統一隠しを強行した『記・紀』編纂

 E さらに、

   これには垂仁天皇と戦い続けた景行天皇の記事が、

   垂仁天皇の次の天皇としてはいり、

   さらに仲哀天皇の前に、仲哀天皇の父が成務天皇として加えられた。

   こうして仲哀天皇は、

   とんでもなく後世の天皇だということになってしまったのである。

 F 『記・紀』は、

   倭国と日本国が合併したから必要になって作られた国史だった。

   双方の旧国民を納得させるためには、

   双方の天皇たちを、

   全部、皇祖皇宗として記録しなければ、必ず内乱が起こる。

   しかし本来、別々の系図に並んだ先祖代々の系譜を、

   2本並べて併記することは出来るが、

   それでは将来に禍根を残すから、

   倭国と日本は古来、1つの国であったとして、

   国史を書き直したのである。

   2本の系図を1本にするには、

   同時存在を全て父か子の位置に移さなければならない。

   『記・紀』は

   最初から、こうした矛盾を覚悟して、過去を犠牲にして、

   未来の安定・幸福を願って作られた、苦肉の作品だったのである。

 G 本来、

   2冊なければ書けない同時存在の2国の歴史を、

   1国の歴史として1冊に同時に書くことは、どんなにしても不可能である。

   ことに同時存在の複数の天皇を、

   対立させずに同時に書くことなど、できるはずがない。

   『記・紀』の編纂は、

   根本から無理な注文の充満した厄介きわまる難事業だったことを、

   改めて認識し直すことが必要である。

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