ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年11月25日金曜日
本来不可能な統一隠しを強行した『記・紀』編纂
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録22:27頁
《本来不可能な統一隠しを強行した『記・紀』編纂》
《本来不可能な統一隠しを強行した『記・紀』編纂》
E さらに、
これには垂仁天皇と戦い続けた景行天皇の記事が、
垂仁天皇の次の天皇としてはいり、
さらに仲哀天皇の前に、仲哀天皇の父が成務天皇として加えられた。
こうして仲哀天皇は、
とんでもなく後世の天皇だということになってしまったのである。
F 『記・紀』は、
倭国と日本国が合併したから必要になって作られた国史だった。
双方の旧国民を納得させるためには、
双方の天皇たちを、
全部、皇祖皇宗として記録しなければ、必ず内乱が起こる。
しかし本来、別々の系図に並んだ先祖代々の系譜を、
2本並べて併記することは出来るが、
それでは将来に禍根を残すから、
倭国と日本は古来、1つの国であったとして、
国史を書き直したのである。
2本の系図を1本にするには、
同時存在を全て父か子の位置に移さなければならない。
『記・紀』は
最初から、こうした矛盾を覚悟して、過去を犠牲にして、
未来の安定・幸福を願って作られた、苦肉の作品だったのである。
G 本来、
2冊なければ書けない同時存在の2国の歴史を、
1国の歴史として1冊に同時に書くことは、どんなにしても不可能である。
ことに同時存在の複数の天皇を、
対立させずに同時に書くことなど、できるはずがない。
『記・紀』の編纂は、
根本から無理な注文の充満した厄介きわまる難事業だったことを、
改めて認識し直すことが必要である。
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