ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年11月8日火曜日
美少女を追って来たソナカと、天日槍の帰化
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録22:10頁
《美少女を追って来たソナカと、天日槍の帰化》
美少女を追って来たソナカと、天日槍の帰化
③ その次にまた一書があって、
「都怒我阿羅斯等が国にいた時のこと、黄色い牛をつれて田舎へ行く途中、
その牛がいなくなってしまった。
一老人が「迷い牛は村へ入っていったよ。
しかし村人は牛が食器を積んでいるので、
これは殺して食べるつもりだから、食べてもいいだろう。
もし持ち主がやってきたら、何かで弁償すればいいさといって食べてしまったよ。
あんたは弁償は『村の神様以外はダメだ』と頑張れ」と教えた。
そうして手にいれた神とは白い石だったが、それは美しい少女に変わった。
しかし留守の間に少女は逃げてしまった。
「東の方へ行った」というので海を渡って日本へ来ると、
少女は難波の<比売語曽の社の神>になり、豊前の<比売語曽の社の神>にもなって、
二か所に祭られていた」とある。
④ その次の垂仁3年。
新羅王子・天日槍(アメのヒホコ)が7つの宝をもってやって来た。
それは但馬の酋の神宝になっている。とある。
⑤ 次にまた一書があって
「天日槍が小船で播磨に来て宍粟(しさわ)にいた時、役人が尋問すると、
「私は新羅の王子だが日本には聖帝がいると聞いて帰化してきた」と
いって8種の宝を天に献上したので、
宍粟(しさわ)と淡路島の出浅(いづさ)の
2つの村に好きなように住めとお言葉を賜わった。
しかし天日槍は諸国を巡って選ばせてほしいと願って、
但馬出島で結婚して子孫を残した」。
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