ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年11月19日土曜日
1世紀以上も時代を間違えて編集した『仲哀天皇紀』
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録22:21頁
《1世紀以上も時代を間違えて編集した『仲哀天皇紀』》
《1世紀以上も時代を間違えて編集した『仲哀天皇紀』》
ではソナカ本人の記事である『仲哀天皇紀』や
『帯中日子天皇記』『神功皇后紀』などは正確なのだろうか?。
答は全部「ダメ」である。
そこに書かれている内容はともかく、
その時代が史実と、とんでもなく、かけ離れている。
史実のソナカは若い卑弥呼と結婚した。
その卑弥呼が倭国連邦の女王に共立されたのは、
中国後漢の桓帝と霊帝の間なのだから2世紀の後半である。
そのときソナカはすでに死んで卑弥呼は神功皇后として連戦した後だった。
以後、彼女は「夫婿なし」のままで248年の死を迎えた。
彼女を倒して邪馬壹国を樹立したのは、
彼女の宗女・壹與を女王に立てて政権を握った伊支馬=垂仁天皇なのだから、
ソナカが死んでから約70年経っている。
ところが、その垂仁天皇の皇子が景行天皇で、その皇子が成務天皇、
その皇子が仲哀天皇だというのだ。
どんなに計算してみても、実際より1世紀以上後の存在になっている。
垂仁天皇から見れば祖父より古い存在のソナカが、
『記・紀』では垂仁天皇の曾孫になっているのである。
これは歴史書としてダメだと言うほかない。
このことが明確に立証したことは、
前後関係がこんなに逆転している『記・紀』の系譜は、
実にいい加減なもので、
親子関係なども盲信できないということである。
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