ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年11月13日日曜日
「角が有る人」は非日本語の巨大文化遺産
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録22:15頁
《「角が有る人」は非日本語の巨大文化遺産》
《「角が有る人」は非日本語の巨大文化遺産》
ご記憶だと思うが、
それはアレクサンドロス大王の有名な称号の1つへの、当て字なのである。
その称号とは「ツルカルニン」である。
なぜなら「角我」を古来「ツヌガ」と読んで、
敦賀=ツルガのことだとしてきた。
敦賀という字がなぜ?ツルガと読めるのかわからないが、
この地名は現存していて常識になっている。
この読み方に間違いはない。
その次の阿羅斯等は、アラシトで、古来、「有る人」と読んできた。
これをツルカルニンに重ね合わせてみると
「ツルカ=角我」「ルニン=有る人(ニン)」だから、
「ツルカールニン」と少し引き延ばして発音すると、
「角我ある人」と1音も狂わず、ぴったり一致する。
アレクサンドロス大王は、その称号をペルシャの皇帝から引き継いだ。
そして頭に角飾りをつけて「角が有る人」として振る舞った。
その時は大王は、日本列島が存在することすら知らなかったのである。
それなのに、この称号は、まるで日本製のように、日本語そのものである。
だが、これは不思議でもなんでもない。
日本人が、祖先たちの素性を知らな過ぎただけなのである。
今では私たちは祖先の重要な構成分子が、ギリシャ人だったことを熟知し、
日本語がギリシャ文化の落し子だと知っている。
この名はその事実の動かぬ物証だったのだ。
それを疑えば、この名は永遠の謎に転落してしまい、
後世の笑いものになるしかない。
『My ブログ』
歴史徒然
ネット歴史塾
ウワイト(倭人)ウバイド
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史の画像
歴史学講座『創世』うらわ塾
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
メソポタミア世界
シュメル-人類最古の文明
The ETCSL project,Faculty of Oriental Studies, University of Oxford
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿