2011年11月26日土曜日

『記・紀』の書名が、誰が編纂者かの動かぬ証拠



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録22:28頁

 《『記・紀』の書名が、誰が編纂者かの動かぬ証拠
 《『記・紀』の書名が、誰が編纂者かの動かぬ証拠

 H こう見てくると、誰がそんな無理な統一隠しを企てたか、よく見えてくる。

   卑弥呼の影を消して、壹與を建国の女帝として顕彰したいのは、

   壹與=嚇居世を初代とする新羅の故郷、

   開聞(ひらきき)=枚聞(ひらきっ)を首都とした小国日本の王・

   天命開別の専=金春秋=天智天皇以外にはない。

 I なぜ『神功皇后紀』が、

   卑弥呼と壹與の事跡をダブらせたものだったか、

   これで非常によくわかる。

   『日本書紀』は日本の始祖を、卑弥呼でなく壹與にしたかったのである。

 J だから『日本書紀』は、

   その書名がはっきり証明しているように、

   日本王・天智天皇の企画した国史なのである。

   かりに天武天皇が企画したのなら、書名に日本などとつけない。

   『日本書紀』は間違いなく天智天皇が編纂させた

   「日本国の国史」だったのだ。

   だからこそ彼と対立した天武天皇は、

   自選の国史に『古事記』という名をつけたのである。

   そして国名も日本を避けて、全て『倭』にした。

   対立は長く尾を引いていたことがわかる。

 K これで、

   『記・紀』とは何か?だけでなく、

   『日本書紀』と『古事記』もまた「どんな書物か」わかった。

   それは倭国と日本国の統一だけでなく、

   それ以前の統一過程で合体した国々の王たちへの配慮も混じった、

   非常に政治的な「作品」にせざるを得なかったのである。
 
  「『記・紀』とは何か?」。

   これがその答=『定義』である。


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