ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年11月20日日曜日
『記・紀』は日本の統一過程を記録した文化財
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録22:22頁
《『記・紀』は日本の統一過程を記録した文化財》
《『記・紀』は日本の統一過程を記録した文化財》
では、卑弥呼が倭迩迩日百襲姫として登場する
『崇神天皇紀』なら、どうだろう?。
これも百襲姫は崇神天皇の伯母で、すでに老婆になっている。
彼女の亡夫・仲哀天皇は数十年前に死んでいるから、
崇神天皇より数代まえの天皇である。
ではなぜ?
崇神天皇の時に蘇那曷叱智、別名・都怒我阿羅斯等が来たと書き、
垂仁天皇のときに于斯岐阿利叱智干岐が来たと編集したのであろう?。
まず、はっきり言えることは、
『記・紀』の編集者たちは、
それらの名前が、
同一人のものだとは知らず、
ましてやそれが仲哀天皇の記録だ、などとは思いもせず、
考えて見ることもしなかったという事実である。
だからこそ、
何のこだわりもなしに、
一人のソナカの記事をばらばらにしてしまったのである。
このことは、それぞれの呼び名が違うように記録者も別人で、
ソナカに対する見方もまた異なっていた証拠である。
だから或る人たちは彼を始祖と考えて「神代」の存在とし、
他の人々は崇神天皇の時に渡来した人物とした。
さらにその出身国も様々な国名になった。
『記・紀』とは、
こうした
「様々な人々の国々が、次第に結合して倭国と日本国になった後、
さらに日本1国に統一された痕跡をそのまま残す『歴史文化財』だ」
というのが結論である。
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