2011年11月24日木曜日

仲哀は孝霊時代人。『仲哀紀』の異様な時代配置



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録22:26頁

 《仲哀は孝霊時代人。『仲哀紀』の異様な時代配置
 《仲哀は孝霊時代人。『仲哀紀』の異様な時代配置

 次は、この定義が、どう役に立つのか?、例をあげて見てみよう。

 A 高皇産霊の尊は神代の神ではなく、仲哀天皇を殺した熊襲である。

   その時間帯はソナカの妻・卑弥呼の若い時の事件だから、

   倭迩迩日百襲姫の父・孝霊天皇の時代である。

   詳細は今後の研究が必要だが、

   淡海三船がつけた漢風諡号が意味をもつとすれば、

   孝霊は「高=皇+霊]を暗示しているから、

   高皇産霊尊は孝霊天皇だった可能性が高い。
 
 B これが違っていたとしても、

   仲哀天皇がその「孝霊天皇と同時代の人」であることには変わりはない。

   前記のソナカ関連の記事全部と『仲哀天皇紀』はすべて、

   『孝霊天皇紀』と併記しなければウソになるのである。

 C するとソナカが崇神天皇の時に来て、

   垂仁天皇のときに帰ったというのもウソになる。

   崇神天皇は孝霊天皇の曾孫になっているからだ。

 D 『記・紀』は、

   その仲哀天皇を、崇神天皇のそのまた曾孫・成務天皇の皇子だと書く。

   なぜ?『仲哀天皇紀』は、

   そんなに後へ行ってしまったのだろうか?。

   それはご存じの通り卑弥呼と壹與の2人の事跡を、

   1人の神功皇后にダブらせて編集してしまったので、

   後世に大活躍した<壹與>の印象が強くて、

   垂仁天皇より後へもって行かれたのである。


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