2011年11月10日木曜日

天稚彦は天日矛と同じ名で当て字が違うだけ


 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録22:12頁

 《天稚彦は天日矛と同じ名で当て字が違うだけ
 《天稚彦は天日矛と同じ名で当て字が違うだけ

 ⑦ だとすると、これには、まだバリエーションがある。

   『天稚彦物語』である。

   天椎彦は『日本書紀』の「神代の下の一」によると、<瓊瓊杵>(ニニギ)の命を

   <葦原中国>の主とするために、<高天原>から先発隊として派遣されたが、

   中国の顕国玉の娘・<下照姫>(別名=高姫・稚国玉)と結婚して任務を放棄してしまう。

   そこで<高皇産霊の尊>が様子を見に無名雉を派遣すると、天推彦は矢で射殺してしまう。

   その矢は<高皇産霊の尊>のところまで飛んでいったので、尊が投げ返すと、

   それは稚彦の胸に命中して死ぬ。

   <下照姫>たちが泣いていると、

   中国で知り合った稚彦の親友・味耜高彦根(アジスキタカヒコネ)の神が弔問にくる。

   それが稚彦そっくりに見えたので、姫たちが「稚彦が生き返った!」と騒ぐ。

   味耜高彦根はそれを「亡者扱いした」と怒って、

   喪のために建てた小屋を「大葉刈」という太刀で切り倒す。

   小屋は落ちて山になる。

   それが美濃の国の喪山なのだ。

   という話である。

   この話の共通点は、まず名である。

   天日矛の「日」には、<ヒ>と<シ>の発音があったが、「稚」を<チ>と読むと、
   <シ>・<ジ>の大隅・沖縄発音になる。

   私の姓の<加治木>も、地元では<カチキ>・<カチツ>と発音する。

   <矛>は<日>を<ホ>とよむから<日子>を<ホコ>と 読んだものに、

   <矛>や<槍>を当て字しただけである。

   だから稚彦は絶対に<ワカヒコ>ではなく、

   <チヒコ>、<シホコ>が語根なのである。


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