ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年11月10日木曜日
天稚彦は天日矛と同じ名で当て字が違うだけ
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録22:12頁
《天稚彦は天日矛と同じ名で当て字が違うだけ》
《天稚彦は天日矛と同じ名で当て字が違うだけ》
⑦ だとすると、これには、まだバリエーションがある。
『天稚彦物語』である。
天椎彦は『日本書紀』の「神代の下の一」によると、<瓊瓊杵>(ニニギ)の命を
<葦原中国>の主とするために、<高天原>から先発隊として派遣されたが、
中国の顕国玉の娘・<下照姫>(別名=高姫・稚国玉)と結婚して任務を放棄してしまう。
そこで<高皇産霊の尊>が様子を見に無名雉を派遣すると、天推彦は矢で射殺してしまう。
その矢は<高皇産霊の尊>のところまで飛んでいったので、尊が投げ返すと、
それは稚彦の胸に命中して死ぬ。
<下照姫>たちが泣いていると、
中国で知り合った稚彦の親友・味耜高彦根(アジスキタカヒコネ)の神が弔問にくる。
それが稚彦そっくりに見えたので、姫たちが「稚彦が生き返った!」と騒ぐ。
味耜高彦根はそれを「亡者扱いした」と怒って、
喪のために建てた小屋を「大葉刈」という太刀で切り倒す。
小屋は落ちて山になる。
それが美濃の国の喪山なのだ。
という話である。
この話の共通点は、まず名である。
天日矛の「日」には、<ヒ>と<シ>の発音があったが、「稚」を<チ>と読むと、
<シ>・<ジ>の大隅・沖縄発音になる。
私の姓の<加治木>も、地元では<カチキ>・<カチツ>と発音する。
<矛>は<日>を<ホ>とよむから<日子>を<ホコ>と 読んだものに、
<矛>や<槍>を当て字しただけである。
だから稚彦は絶対に<ワカヒコ>ではなく、
<チヒコ>、<シホコ>が語根なのである。
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