『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録18:5頁
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これで、高麓だけでなく高句麓までもが、なぜ?コマと呼ばれていたかが完全にわかった。
その語源が「子」すなわち「干支のネ」だったこともわかった。
だから天皇たちの名乗りの「根子」は、そのネの発音と、
干支の名詞「子」とを組み合わせたものと見ていい。
するとそれは高句麗の支配者を意味するから、
その名乗りをもった天皇たちで、
この考えが正しいかどうか?確認することができる。
大日本根子彦太瓊=孝霊天皇。卑弥呼=倭迩迩日百襲姫たちの父。
大日はタカで「高族」、大国で「ウマ=午」、日は日向だから、
カリエン以来の南海の支配地=琉球・奄美・南九州を意味し、
本は、それ以北の本つ国=九州と朝鮮半島と見ると、
根子はやはり最北の子=ネの位置にある高句麓を意味する名乗りになっている。
位宮は卑弥呼の弟・稚武彦で、天照大神とスサノオに当たり、
兄の高句麓王の死後、山上王として高句麗に行った。
その父が高句麓を領していたことは疑いない。
大日本根子彦国牽=孝元天皇。
この天皇が、その位宮の兄であるから、高句麗も領土だったことは説明の必要もない。
むしろ必要なのは、その高句麗領有は高霊天皇からか?、
それ以前からか?という疑問への答である。
高霊天皇の父はどうなっていたのか?。
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