『ウバイド』
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『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録17:25頁
この名乗りの問題は、まだ終わりではない。
それは天平以後にも姓として使われたからである。
飛鳥戸(アスカベ)意等麻呂(オトマロ)は、
大宝2年の
豊前の国・上三毛郡・加目久也里(カメクヤリ)の住人だった。
飛鳥戸造(アスカベのミヤツコ)弟見(オトミ)は、
延暦2年に外従五位下になった役人で、
安宿戸(アスカべ)と当て字したものや
安宿造だけのものもあるから、
当時は発音だけが日常使われていて、
文字は固定していなかったことがわかる。
これはアスカミヤツコと読むと、
アスカミ=アシカビ+ヤツコ(奴)になる。
また安宿造・立方呂には「飛部」と書いたものもある。
在来は「アスカ」への当て字は
明日香と飛鳥と安宿だと思っていた人が多いが、
「飛」一字のアスカもあったのである。
では何故?飛ぶ鳥と書くのだろう?。
『日本書紀』は
「蘆髪蒲見別王」が白鳥を盗ったので殺したと書いていた。
殺されたのは、
実は仲哀天皇だったのだから小さな事件ではない。
その子孫が
「鳥盗り」という渾名(あだな)で呼ばれたから
「鳥取」という姓が生まれ、
それを嫌った者が「飛鳥」という好い字に変えた、
と見ると辻つまが合う。
それが可能なのはトットリという南九州発音の場合だけで、
トリトリやトブトリではこんなことは起こらない。
現に鳥取県がそのトットリという発音で、
語源と住民が南九州から来たことを証言している。
『参考』
ネット歴史塾
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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