2011年4月22日金曜日

ギリシャ色名文化が物語る日本誕生までの推移

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録17:28頁

 ⑨ ギリシャ色名文化が物語る日本誕生までの推移

 では、それは、卑弥呼政権没落後はどうなったのか?。

 玄武と呼ばれてきた動物は亀と蛇で、

 これが亀(キ)蛇(ダ)で「北・キタ」の語源であることは、

 もうよく御存知である。

 南も皆海だから「ミナミ」だと本号の前の方でお話しした。

 東は「日向ひ」だから大隅語でヒムカシ、今も詩歌ではこれを使う。

 「ヒガシ」はその訛りである。
 
 西の「ニシ」は沖縄語では「北」のこと。

 そこから北にあるのは九州本土。

 そこにあった伊都国には、

 爾支(にし)という最高支配者がいたと

 『魏書倭人章』が記録している。

 この爾支は「ニシ=西」によく合う。

 壹與は新羅の始祖王だったから都は白日別=福岡へ移った。

 そこから見れば佐賀の伊都国は西に当たる。

 沖縄からみてもニシ。

 福岡からみてもニシに爾支がいた時代は壷輿時代だ。

 それまでの卑弥呼時代の方位名をやめて新しい名で呼んだのは、

 壹與政権からだったことがわかる。

 これは高句麗王として魏の公孫氏討伐戦に参加した位宮が、

 魏軍に学んだ新知識の「中国式方位名=東西南北」を

 邪馬壹国式にアレンジしたものだったのである。

 それは倭の五王時代にも使われていた。

 倭王・武が「西は66か国」と書いたのは、

 視点が九州北東部にあり、

 西はまさに「爾支支配圏」に当たる。

 しかしギリシャ式色名文化が消えたのではない。

 日本誕生時にはキトラ古墳壁画に見るように、

 復活しているのである。

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