『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録17:28頁
⑨ ギリシャ色名文化が物語る日本誕生までの推移
では、それは、卑弥呼政権没落後はどうなったのか?。
玄武と呼ばれてきた動物は亀と蛇で、
これが亀(キ)蛇(ダ)で「北・キタ」の語源であることは、
もうよく御存知である。
南も皆海だから「ミナミ」だと本号の前の方でお話しした。
東は「日向ひ」だから大隅語でヒムカシ、今も詩歌ではこれを使う。
「ヒガシ」はその訛りである。
西の「ニシ」は沖縄語では「北」のこと。
そこから北にあるのは九州本土。
そこにあった伊都国には、
爾支(にし)という最高支配者がいたと
『魏書倭人章』が記録している。
この爾支は「ニシ=西」によく合う。
壹與は新羅の始祖王だったから都は白日別=福岡へ移った。
そこから見れば佐賀の伊都国は西に当たる。
沖縄からみてもニシ。
福岡からみてもニシに爾支がいた時代は壷輿時代だ。
それまでの卑弥呼時代の方位名をやめて新しい名で呼んだのは、
壹與政権からだったことがわかる。
これは高句麗王として魏の公孫氏討伐戦に参加した位宮が、
魏軍に学んだ新知識の「中国式方位名=東西南北」を
邪馬壹国式にアレンジしたものだったのである。
それは倭の五王時代にも使われていた。
倭王・武が「西は66か国」と書いたのは、
視点が九州北東部にあり、
西はまさに「爾支支配圏」に当たる。
しかしギリシャ式色名文化が消えたのではない。
日本誕生時にはキトラ古墳壁画に見るように、
復活しているのである。
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