『ウバイド』
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『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録17:15頁
この基肄(きい)が中央だと、
帯方郡使がそこを起点にして、
わざわざ書き加えた
「水行二十日」の投馬国は、
「水行十日・陸行二十日」の邪馬壹国よりも、
はるか南の島だとわかる。
当時の交通事情を考えると、
そんな所に領土をもっていても往来するだけでも大負担で、
決して利益にはならない。
それなのに『魏書倭人章』が、
宗主国の邪馬壹国と並べて特記したのは、
そこが並々ならぬ重要な土地=卑弥呼の聖地だったことを
教えているのである。
ではそこは一体?
何処なのであろう?。
いま奄美大島の首都・名瀬市に
「芦花部」という地名がある。
これが前号のご挨拶の中で「予告」させて戴いた
「たった1つの地名」なのである。
『万葉集』などでご承知のように、
古語の仮名(カナ)として読めば、
芦はア、花はカでアカ=赤。
部はべで「アカベ」、
幼児語の「あかべ!(あかんベー!)」でもある。
伊都国を中心にすれば北の高句麗と似た位置に、
この南の赤がある。
卑弥呼が比売碁曽で阿加流比売(明姫)であることは、
『古事記』が天の日矛のところで書き、
もう私たちには常識だから、
彼女は南の国でピューティヤをしていて、
皇子に見染められて逃げたことは、
周知の事実だといっていい。
この南島地域には他に赤に相当する地名がない。
だからここがその彼女の故郷であり、
最盛期のアカイヤに当たることは、まず間違いない。
『参考』
歴史学講座『創世』うらわ塾
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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