2011年4月13日水曜日

万世一系の真実度と聖徳太子と馬子の真相

『ウバイド』
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『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録17:19頁

これで7世紀の蘇我氏とは、

2世紀の卑弥呼の夫・仲哀天皇から

連綿と続いた万世一系の家系だったと

明瞭におわかり戴けたと思う。

これが

⑥ の「それが語る蘇我氏の正体」である。

もう一度、よく確認しておくと、足仲も息長も蘇那葛も牛頭も、

全て蘇我・曽我・宗我・巷宜などと当て字された

ソナカに対する当て字だったのであって、

その皇統はアソカ王までさかのぼり、

さらにアレクサンドロス当時の

チャンドラグプタによるマウルヤ王朝に遡る。

このマウルヤは「馬得る国(ヤ)」と当て字できるから、

7世紀人たちは得馬古(うまこ)・馬子という当て字を選んだ可能性も、

『法王帝説』などの文献を読むと見えてくる。

そして何よりも重要なことは、

聖徳太子の厩戸もまたウマコへの当て字だということである。

『日本書紀』は意識して2人に書き分けているが、

同時に同じ名乗りの人が肩を並べるような地位にいるはずがない。

これがわかると聖徳太子のナゾは1つも残らない。

馬子が臣下でありながら専横政治を行なったのではない。

悪く見えるように、

『日本書紀』が小細工をしただけなのである。

こうみてくると彼らの首都が、

なぜ?アスカだつたのかも見えてくる。

卑弥呼の出発点は芦花部だった。

これはアシカベでアスカベとは1字違いでしかない。

その語源がアソカ王にあるとみると、

沖縄ではアソカはアスカになるから

飛鳥・明日香はそれに対する当て字だ。

『参考』
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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