『ウバイド』
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『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録17:19頁
これで7世紀の蘇我氏とは、
2世紀の卑弥呼の夫・仲哀天皇から
連綿と続いた万世一系の家系だったと
明瞭におわかり戴けたと思う。
これが
⑥ の「それが語る蘇我氏の正体」である。
もう一度、よく確認しておくと、足仲も息長も蘇那葛も牛頭も、
全て蘇我・曽我・宗我・巷宜などと当て字された
ソナカに対する当て字だったのであって、
その皇統はアソカ王までさかのぼり、
さらにアレクサンドロス当時の
チャンドラグプタによるマウルヤ王朝に遡る。
このマウルヤは「馬得る国(ヤ)」と当て字できるから、
7世紀人たちは得馬古(うまこ)・馬子という当て字を選んだ可能性も、
『法王帝説』などの文献を読むと見えてくる。
そして何よりも重要なことは、
聖徳太子の厩戸もまたウマコへの当て字だということである。
『日本書紀』は意識して2人に書き分けているが、
同時に同じ名乗りの人が肩を並べるような地位にいるはずがない。
これがわかると聖徳太子のナゾは1つも残らない。
馬子が臣下でありながら専横政治を行なったのではない。
悪く見えるように、
『日本書紀』が小細工をしただけなのである。
こうみてくると彼らの首都が、
なぜ?アスカだつたのかも見えてくる。
卑弥呼の出発点は芦花部だった。
これはアシカベでアスカベとは1字違いでしかない。
その語源がアソカ王にあるとみると、
沖縄ではアソカはアスカになるから
飛鳥・明日香はそれに対する当て字だ。
『参考』
歴史学講座『創世』うらわ塾
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小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
『メソポタミア世界』
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