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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:730頁
第十二章 大国神と大物主神
大国神と大物主神(6)
『日本書紀』は大物主神をい大己貴神の幸魂奇魂として、
出雲国造神賀詞も大穴持命の和魂として、
まるで両神が同じ神であるかのように表現しているが、
『記・紀』が海の彼方から光り照らしながら近づいたと
説明する状況からすると、
この神も少彦名神同様外国から来た神である。
本居宣長は「古事記伝」巻二十で
「御此大物主と申す御名は、
美和に鎮り坐す御魂の御名にして
大穴牟遅命の一にあらず、
倭大物主とあるにてもしるべし」
と述べ、
大国主神と大物主神とが
別の神格であることを見抜いている。
『古事記』は大国主神を須佐之男命の六世の後裔とするが、
大穴牟遅神の「根の堅州国に参向ふべし」の物語の中では、
須佐之男命と八上毘売との間の女(むすめ)須勢理毘売の
婿としている。
大神(須佐能男神)が大穴牟遅神を呼んでいう。
「我が女須勢理毘売を嫡妻と為て」
「大国主神となり、亦宇都志国玉神となる~」
と語りかけている。
同神に多くの別称があるが、
『記・紀』の編纂の途上近似した神名を結びつけるなどの
造作があった可能性がある。
つまり、確かに「神武東征」に際し国譲りは史実として、
それに近い事件があったと考えられるが、
その時代の大国主命は、「須佐之男命の後裔」であったけれど、
大和国の御諸山に祀られた「大国主命」とは
全く違う神名であったということである。
とはいうものの大和・出雲地方の政治的関係を
否定するものではないことは「意宇」「生尾人」の考察で説いてある。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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