2014年9月1日月曜日

大国神と大物主神(6)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:730頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大国神と大物主神(6)

  『日本書紀』は大物主神をい大己貴神の幸魂奇魂として、

 出雲国造神賀詞も大穴持命の和魂として、

 まるで両神が同じ神であるかのように表現しているが、

 『記・紀』が海の彼方から光り照らしながら近づいたと

 説明する状況からすると、

 この神も少彦名神同様外国から来た神である。

 本居宣長は「古事記伝」巻二十で

 「御此大物主と申す御名は、

 美和に鎮り坐す御魂の御名にして

 大穴牟遅命の一にあらず、

 倭大物主とあるにてもしるべし」

 と述べ、

 大国主神と大物主神とが

 別の神格であることを見抜いている。

 『古事記』は大国主神を須佐之男命の六世の後裔とするが、

 大穴牟遅神の「根の堅州国に参向ふべし」の物語の中では、
 
 須佐之男命と八上毘売との間の女(むすめ)須勢理毘売の

 婿としている。

 大神(須佐能男神)が大穴牟遅神を呼んでいう。

 「我が女須勢理毘売を嫡妻と為て」

 「大国主神となり、亦宇都志国玉神となる~」

 と語りかけている。

 同神に多くの別称があるが、

 『記・紀』の編纂の途上近似した神名を結びつけるなどの

 造作があった可能性がある。

 つまり、確かに「神武東征」に際し国譲りは史実として、

 それに近い事件があったと考えられるが、

 その時代の大国主命は、「須佐之男命の後裔」であったけれど、

 大和国の御諸山に祀られた「大国主命」とは

 全く違う神名であったということである。

 とはいうものの大和・出雲地方の政治的関係を

 否定するものではないことは「意宇」「生尾人」の考察で説いてある。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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