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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:754頁
第十二章 大国神と大物主神
大物主神の奉祭氏族:登美族(5)
讃良は彼等の王族の居住地である。
Dvārakā は「多くの門のある都市」の語義で、
別称では dvāra-vati とも呼ばれ、これは「門・都市」である。
寝屋川市の大利神社の鎮座する
「大利(おおとし)」はこの dvāra 転訛で、隣りの門真市名は
dvāra(門)-vati(マ) の意訳音写の合成語であり、
表記の門真は溝橛の意味を含む。
門真神社はドヴァラヴァティ神社ということになる。
また、ドヴァラカを神社名としているのが
寝屋川市郡の友呂岐神社と木屋町の鞆呂岐神社である。
この地域は平安時代に鞆呂岐荘であり、
現在の香理から三井地区を含んでいたとみられる。
「ミツイ(三井、美井)は、マツヤ」の転訛で
ドヴァラカ国の前身であるマトゥラーを首都とした国名である。
Va(ヴァ)ma(マ)と転換されたのは、
かって Narvada 川と称されたインド西部の河が
現在では Narmada 川と表記されている例で理解できる。
Vāsava (vasu 神郡の長インドラ神) が
漢音では摩娑婆とされている。
二つのトモロキ神社は延喜式神名帳には載っていないが、
平安時代にはその存在が
すこぶる低下してしまっていたからだろう。
それらの神社の祭神は門真神社が素盞鳴尊とするなど
ヤーダヴァ族とは係わりのない神名が現在並んでいるが、
太初の頃はクリシュナ kṛsna であったと考えられる。
クリシュナは黒い皮膚の「黒い神」の語義である。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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