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創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―
著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦
執筆時期:1999~2000年
牛角と祝祭・その民族系譜:753頁
第十二章 大国神と大物主神
大物主神の奉祭氏族:登美族(4)
郡名の「讃良」は「佐良良、沙羅羅」と表記された古名だが、
これがメソポタミアの「王」を表わす
セム語 śarara の移入と考えられるのである。
というのも湟咋の祖語は、
メソポタミアの根元を持つ
インドのヤーダヴァ族であるからである。
讃良郡の北方には紀元4世紀になって
同じセム語を祖語に持つユダヤ人である秦氏族がやって来た。
第7章メルッハとオフル「ヤーダヴァ族」で、
彼等の祖先がメソポタミアからインドへ来たことを述べた。
インドではアーリア人の侵入以前における大族であった。
インドにおける最後期の王クリシュナが
インド亜大陸の西端に当たるクジャラート(サウシュトラ)
Dvārakā という都市を建設したが、
クリシュナの死後同市は滅び海中に没して、
ヤーダヴァ族hametubou しまったという叙事詞の伝承を紹介した。
そして現在サウシュトラの西に
Divrka という小さな町があることも紹介した。
そこの人々がヤーダヴァ族の後裔であるといっている
ことなどを踏まえて、
彼等が全く滅亡してしまったということは
あるまいとも述べておいたが、
実は日本にその後裔が渡来していたのである。
《参考》
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
(アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている)
牛頭を象った神社建築の棟飾部
本生図と踊子像のある石柱
Tell Arpachiyah (Iraq)
Tell Arpachiyah (Iraq)
ハラフ期の土器について
ハブール川
ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
ARPACHIYAH 1976
高床式神殿
牛頭を象った神社建築の棟飾部
神社のルーツ
鳥居のルーツ
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