2014年9月29日月曜日

大物主神の奉祭氏族:登美族(12)

 浦和レッズレディース
 『Yahoo!天気・災害』
 Matのジオログ

 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:761頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大物主神の奉祭氏族:登美族(12)

  三嶋湟咋が讃良郡にいたとすると、

 勢夜陀多良比売もここにいたことになる。

 その痕跡を検討すると『古事記』や神社名にそれがあり、

 以下のような見解となる。

 『古事記』は

 「三嶋溝咋の女、勢夜陀多良比売、

  その容姿麗美しかりき、故、美和の大物主神、見感(みめ)でて、

  其の美人の大便為(くそま)れる時、丹塗矢に化りて、

  其の大便為れる溝より流れ下りて、

  其の美人の登富を突きき」と述べるが、

 大便をしている時に溝から流れ下って行く様子は

 まさに厠(川屋)の情景である。
 
 川の上に簡単な草屋を作り便所としていた

 日本の古い風習が描かれていると解釈できる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

2014年9月28日日曜日

大物主神の奉祭氏族:登美族(11)

 浦和レッズレディース
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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:760頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大物主神の奉祭氏族:登美族(11)

  この「三嶋」をどう読むかは重要である。

 「ミシマ」か「ミツシマ」かであるが、「ミツシマ」とすべきである。

 その訳は「ミツ」がクリシュナの生誕の地にして

 ヤーダヴァ族の母国の首都 Madnurā 及び

 その国名 Matsuya に係わるからである。

 Madnurā は第一章で紹介したように

 「松浦」の祖語で「密、石密」を表わし、 

 Matsuya は「魚」の意味である。

 ヤーダヴァ族の族名の元となった

 祖名 yadu の yādas に因むと考えれば、

 魚も水棲動物の範疇に入り、その族名に合致する。

 クリシュナの系統のドヴァラカ一族が

 彼等の祖地名をここに付けたとみられるのである。

 三嶋が「魚国」であることは、

 大田田根子の出身の地、

 『古事記』のいう「河内の美努村」と関連する。

 「美努」は mina の転訛で「魚」を意味する。

 サンスクリット文字 ma (漢音摩字) が「ミ」となることについては

 madhu (密)が日本語になって「みつ」というのと同じである。

 Matsya は

 寝屋川市の三井、松屋町、門真市の松葉町、松生町ともなっている。

 「三ツ」は madura で、三嶋はマツヤ国を表わしているのである。

 讃良郡はドヴァラカ(ヤーダヴァ族、登美族)のこの地方での

 最も古い居住地と考えられるのである。

 そして彼等は三輪山の信仰に深く係わっていた。

 堀溝に鎮座する鸎関(ようかん)神社は、

 鸎が鶯のことで「青(緑)い鳥」、

 関は「垣」で、同神社名は「青垣神社」であり、

 三輪山に通じる。

 堀溝の南隣り河北にある大神社は「鶯神社」であろう。


《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
]

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

大物主神の奉祭氏族:登美族(10)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:759頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大物主神の奉祭氏族:登美族(10)

  ここでいう延喜式神名帳の摂津国嶋下郡に

 溝咋神社の載ることを考えておかなければならない。

 同社は現在茨木市五十鈴町に鎮座する。

 この茨木市、高槻市、島本町が三島郡であった。

 だがそれは中世期以後のことで、

 和名類聚抄、延喜式は嶋上郡、嶋下郡とする。

 その西は豊嶋郡といい、

 平安時代の初期には

 淀川より北の地域は「嶋」であったと解釈される。

 「シマ」は syama(黒) の転写で

 クリシュナに係わるとの見解をすでに述べた。

 「嶋郡」もやはり開祖溝橛のヤーダヴァ族の

 影響下にあったとすることができる。

 同じく神名帳に記載されている三嶋鴨神社の鎮座する

 高槻市三島江の隣りに「三箇牧」の地名があり、

 「三嶋」が「三ッ島」と同一であることを示している。

 その嶋郡に溝橛を祀っても不思議はない。


《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
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2014年9月27日土曜日

大物主神の奉祭氏族:登美族(9)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:758頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大物主神の奉祭氏族:登美族(9)

  寝屋川市高宮神社、大社御祖神社が鎮座する。

 両社とも延喜式神名帳讃良郡に

 「高宮神社大」「高宮大社祖神社」と記載されている。

 祭神について、

 前者が天剛風命、後者がその父の万魂命とし、

 高宮氏一族の祭祀という。

 しかし、「大社」は「オホ社」で

 奈良県磯城郡田原本町多に鎮座する多神社のことで、

 祭神は後に解析するが神八井耳命である。

 「高宮大社祖神社」は

 その神八井耳命の祖を祭祀した神社であり、

 三嶋溝橛、玉櫛姫、大物主神、媛蹈鞴五十鈴媛で、

 神八井耳命の母系の開祖、祖母、祖父、母ということになる。

 この関係についてはまた述べる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

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 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年9月26日金曜日

大物主神の奉祭氏族:登美族(8)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:757頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大物主神の奉祭氏族:登美族(8)

  『古事記』の記す生尾人は登美族にして

 ヤーダヴァ族で三嶋湟咋も

 ヤーダヴァ族にして登美族である。

 なお、「田原」は「クワラ」であるが、

 紀元7世紀に現在のタイ国のバンコク辺りに

 ドラヴァティ dvāravati 国がモン族に依って建てられた、

 その呼称はその後北方の中国方面から南下したタイ族に依って

 「タワーラワティ」と呼ばれており、 dvāra を

 「タワーラ」とする共通の表音的性格がみられる。

  讃良郡が属するのは河内(カワチ)郡だが、

 この「コウチ」もヤーダヴァ族の持って来た用語で、

 śarra (佐良良、讃良)と同じくサンスクリット語の

 「五座」を表わす kota 「支配者」の ksi- と関係し、

 セム語の kussu (五座)、シュメル語では kuś (牧夫)であった。

  紀元4世紀になってメソポタミアで同居していた

 セム語を解するイスラエル人の一族秦氏が隣人となる。

 寝屋川市に太秦の地名がある。

 ヤーダヴァ族は本来ユダヤ族(アブラハム)と同じく

 月神崇拝者(月種)であったが、

 クリシュナの父がヴァスデーヴァ(vasudeva)の時代に

 太陽神崇拝(日種)へと転換した。

 依って古代の日本へ渡来した人々は日種であった。

 Vasu-deva の deva は「神」を表わすが、

 Vasu は極めて重要な用語である。

 「善い、財貨、富」ではあるが、特に「光線」を表わし、

 その動詞 Vasu は「夜が白んで明るくなり」「輝く」ことで、

 「夜明け」に適用される。

 Vasayati は「輝かせる」、 

 vi-vāsayati は「光る、夜が明ける」となる。

 このようにヤーダヴァ族(登美族)の日神崇拝は

 夜明けの暁光に対する崇拝である

 寝屋川市の中心に初町があるが、

 「初」は vasu の転写で隣りに日之出町がある。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
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、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年9月24日水曜日

大物主神の奉祭氏族:登美族(7)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:756頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大物主神の奉祭氏族:登美族(7)

  dvāra は門、戸の意味で、また「杭」 で穴の概念を持つ。

 穴は「空虚、空」であるが、

 「寝屋」は旧語で「寐屋(とこや)」であり、

 これは「空虚」の語義の tucchya の音写とみられ、

 同語は延喜式神名帳の讃良郡に記載されている

 現四条畷市南野に鎮座する御机(みつくえ)神社の祖語でもある。

 これは「湟」でもある。

 その四条畷市(旧讃良郡)の東端に田原があり、

 奈良県生駒市に亘って田原地域が広がる。

 田原は dvāra の音写であり、

 ドヴァラカ族の勢力の拡大地域がある。

 そして奈良市西部の登美、富雄など

 饒速日命の妃となった登美夜毘売命の勢力地となり、

 田原本町(長髄彦)、桜井市とその勢力範囲が広がっていたのである。

 「生尾人」は

 メソポタミアの水棲動物アネスを想像させると述べたが、

 ヤーダヴァ族の祖名である yadu は yadas に依るもので、

 まさに水棲動物そのものである。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年9月23日火曜日

大物主神の奉祭氏族:登美族(6)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:755頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大物主神の奉祭氏族:登美族(6)

 寝屋川市内の黒原や楠根はこの神名に依るだろうし、

 三島の「シマ」は kr-(kāla) と

 同義の別語 syama (黒)の音写と考えられる。

 延喜式に摂津国上嶋郡、下嶋郡があるが、

 この「嶋」も syama に由来する。

 同地方は後に三島郡となり、

 現在島本まちなどとなっている。

 三井がクリシュナの生まれた国

 マツヤを祖語とすると述べたが、

 鞆呂岐神社のある木屋町の隣に松屋町名も同様である。

 友呂岐神社の鎮座する「郡」や

 寝屋川市と枚方市に広がる「香里」の地名は gaura の音写で、

 ドヴァラカ市が太陽や月のように輝いていたと伝えられることから、

 その「輝き」を形容した地名である。

 寝屋川市打上神社は明治初めまでは高良神社であった。

 この「高良」も祖語は gaura であろう。

 同社近くにある「石の宝厥」はまさに「天門」の象徴で、

 天照大神がかくれた「天の岩窟」を想起させる。

《参考》

 高良神社(大阪府寝屋川市)


《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
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大物主神の奉祭氏族:登美族(5)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:754頁

 第十二章 大国神と大物主神

 大物主神の奉祭氏族:登美族(5)

 讃良は彼等の王族の居住地である。

 Dvārakā は「多くの門のある都市」の語義で、

 別称では dvāra-vati とも呼ばれ、これは「門・都市」である。

 寝屋川市の大利神社の鎮座する

 「大利(おおとし)」はこの dvāra 転訛で、隣りの門真市名は

 dvāra(門)-vati(マ) の意訳音写の合成語であり、

 表記の門真は溝橛の意味を含む。

 門真神社はドヴァラヴァティ神社ということになる。

 また、ドヴァラカを神社名としているのが

 寝屋川市郡の友呂岐神社と木屋町の鞆呂岐神社である。

 この地域は平安時代に鞆呂岐荘であり、

 現在の香理から三井地区を含んでいたとみられる。

 「ミツイ(三井、美井)は、マツヤ」の転訛で

 ドヴァラカ国の前身であるマトゥラーを首都とした国名である。

 Va(ヴァ)ma(マ)と転換されたのは、

 かって Narvada 川と称されたインド西部の河が
 
 現在では Narmada 川と表記されている例で理解できる。

 Vāsava (vasu 神郡の長インドラ神) が

 漢音では摩娑婆とされている。

 二つのトモロキ神社は延喜式神名帳には載っていないが、

 平安時代にはその存在が

 すこぶる低下してしまっていたからだろう。

 それらの神社の祭神は門真神社が素盞鳴尊とするなど

 ヤーダヴァ族とは係わりのない神名が現在並んでいるが、

 太初の頃はクリシュナ kṛsna であったと考えられる。

 クリシュナは黒い皮膚の「黒い神」の語義である。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
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大物主神の奉祭氏族:登美族(4)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:753頁

 第十二章 大国神と大物主神
 
 大物主神の奉祭氏族:登美族(4)

  郡名の「讃良」は「佐良良、沙羅羅」と表記された古名だが、

 これがメソポタミアの「王」を表わす

 セム語 śarara の移入と考えられるのである。

 というのも湟咋の祖語は、

 メソポタミアの根元を持つ

 インドのヤーダヴァ族であるからである。

 讃良郡の北方には紀元4世紀になって

 同じセム語を祖語に持つユダヤ人である秦氏族がやって来た。

 第7章メルッハとオフル「ヤーダヴァ族」で、

 彼等の祖先がメソポタミアからインドへ来たことを述べた。

 インドではアーリア人の侵入以前における大族であった。

 インドにおける最後期の王クリシュナが

 インド亜大陸の西端に当たるクジャラート(サウシュトラ)

 Dvārakā という都市を建設したが、

 クリシュナの死後同市は滅び海中に没して、

 ヤーダヴァ族hametubou しまったという叙事詞の伝承を紹介した。

 そして現在サウシュトラの西に 

 Divrka という小さな町があることも紹介した。

 そこの人々がヤーダヴァ族の後裔であるといっている

 ことなどを踏まえて、

 彼等が全く滅亡してしまったということは

 あるまいとも述べておいたが、

 実は日本にその後裔が渡来していたのである。


《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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2014年9月22日月曜日

大物主神の奉祭氏族:登美族(3)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:752頁

 第十二章 大国神と大物主神
 
 大物主神の奉祭氏族:登美族(3)

  『日本書紀』は事代主神が

 三嶋溝橛耳神の女の玉櫛媛を娶って

 生まれた子が媛蹈鞴五十鈴媛と述べる。

 『古事記』が大物主神とするのに対し

 『日本書紀』が事代主神としているが、

 その事情にちいては後述する。

 ここで考察するのは、三嶋溝橛(三嶋湟咋)であるが、

 この追求は登美族の実祖像を知ることとなる。

 彼の本拠地は河内国讃良(ささら)郡である。

 現在の大阪府寝屋川市の南端に讃良(東西)町があり、堀溝がある。

 「湟咋」は「堀を齚(か)む」ことで「溝を掘る」ことであり、

 「堀溝」は湟咋に因んだ遺称である。

 その西隣りは門真市で、そこに三箇や三ッ島の地名があり、

 これが三嶋の遺称である。

 溝橛の「橛」は「橜(くい)」で杭、杙と同義であるが、

 特に門の中央に立ててある杭を意味する。

 『日本書紀』がその神名に「耳神」と神武天皇の御子以外に
 
 符されていない特殊な符号を与えている。

 これはサンスクリット語の Mā(mimite) の

 自動詞一人称の mime の音写で、

 「量る、測定する」から「創造する、造立する」の意味であり、

 「ミミ神」は「創立神、造物主神」となる。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
 

 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

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 Tell Arpachiyah (Iraq) 
 Tell Arpachiyah (Iraq)     
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
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 高床式神殿
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2014年9月21日日曜日

大物主神の奉祭氏族:登美族(2)

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 創世紀―牛角と祝祭・その民族系譜―

 著述者:歴史学講座「創世」 小嶋 秋彦

 執筆時期:1999~2000年

 牛角と祝祭・その民族系譜:751頁

 第十二章 大国神と大物主神
 
 大物主神の奉祭氏族:登美族(2)

 三輪山周辺が「生尾人」の地であったことは既に述べた。

 桜井地区と谷地区との間には

 古代の王族を表わす「高市」と同声の「河西」がある。

 「コウシ」ないし「コウチ」が王族あるいは支配者であることは、

 ここに重なって「能登」の地名があることで解かる。

 「ノト」は千葉県野田市でみたように nāda の転訛で

 「支配者」の語義である。

 そして、その王族とは「生尾人」である

 阿部氏族とすることができる。

 阿部氏の性格は祝である。

 阿部氏は大神神社の祭祀者であったと考えられ、

 彼等はまた登美族であった。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 

 
 
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq) 
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 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
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