2011年10月28日金曜日

特記の動機は当時までの惨澹たる中国の政情


 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録21:26頁

 《特記の動機は当時までの惨澹たる中国の政情

 これを幼稚だとか、サギ的だとか責めることができるだろうか?。

 現在でも「神」で説明する者が多数いる。

 多数の人々が神に祈り、神を信じる者が自爆テロを起こしている。

 では書紀編者は迷信でそれを書いたのか?。

 そうではない。

 証拠は『日本書紀』が立派な漢文で書かれている事実だ。

 彼らは現在の日本人以上に中国の歴史をよく知っていた。

 その歴史とは次のようなものだったのである。

 後漢末の

 220年、

  曹丕(ヒ)が天子を退位させて魏帝国にし自分が帝位についた。

 265年

  その魏の重臣・司馬炎が天子を退位させて、晋帝国にし自分が帝位についた。

 316年、

  こんどは劉曜が帝国を乗っ取り、2年後に琅邪(ロウヤ)王だった皇族の睿(エイ)が

  建康(南京)で東晋を樹て、南北朝時代にはいる。

 しかし南朝は100年程で滅び、継いだ宋、斉、梁、陳もみな短命といった有様で、

 この間に北の人たちが

 北魏(386)帝国を造ったが、

 東魏と西魏に分裂(535)、

 その東魏も北斉(550)に、

 西魏は北周(557)になり、

 北周が北斉を倒して北方を統一したのも束の間

 部下の将軍・楊堅に帝位を奪われて

 隋帝国と名が変わった。

 その隋も重臣の李淵に潰されて唐と名が変わった。

 この動乱のたびに避難民が我が国にやって来ている。

 こんな実情は当時の日本人の常識だった。

 それがまだ生々しい唐代に『日本書紀』が書かれたののである。

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