2011年10月3日月曜日

古事記序文執筆者Xは誰か

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録20:30~31頁
     言語復原史学会・隅田 真也

 《古事記序文執筆者Xは誰か

 元明天皇は「712年書写古事記」のヒローイン。

 「記」は誕生以来マイナーな「書」であつたが。

 序文、本文とも正式な上表文ではないが。

 元明天皇は本文を読破していたし、

 勿論そこに何が書かれているのか全部読めた。

 それどころか「記」の内容の重要さに驚きあわてて

 翌713年全国に「風土記」提出命令を発布、

 ついで714年「紀の清水と三宅藤麻呂に国史をまとめるよう」指示した。

 未調査で推測だが、これも何がしかの「提出文」があり、

 執筆者Ⅹも眼を通していたに違いない。

 執筆者Ⅹの正体に話を戻すと、序文の記述内容から「Ⅹ」も安萬侶も

 天武の下で働いた同時代人であるが、

 二人とも天智、天武、持統、文武、元明、元正天皇と

 6~7代もの天皇の間「生」を

 まっとうして来た人物だと云う事である。

 特に「Ⅹ」は安萬侶よりずっと「位」が高く

 常にそれぞれの天皇の側近であった人物である。

 勿論「史書」を扱い712年の事を成すに適材、

 適任者であったのは言うまでもない。

 正体が解ると自分は無記名で何故安萬侶を表にだしたか、

 その立場、気持ちが分かる。

 答えをだすにあたって整理しておくと、

 ① 681年天武「記して定めろ・日本書記」、

 ② 690年持統「十八氏纂紀・日本書紀加筆」、

 ③ 執筆者Ⅹ「持統没年記事等加筆」

 ④ 712年元明+Ⅹ+安萬侶「書写古事記」

 ⑤ 713年元明「風土記提出命令」

 ⑥ 714年「紀の清水、三宅藤麻呂に国史をまとめるように指示」

 ⑦ 720年舎人親王「日本紀+紀州巻系図奏上」、こんな流れでなかっただろうか。

 で後に、先祖、安萬侶を持ち上げすぎて現代学者に誤解を招いた

 「多人長」なるものが登場し彼は813年「弘仁私記序」で

 「夫、日本書紀は一品舎人親王(清御原天皇の第5皇子なり)

  安萬侶等(王子神八井耳命の後なり)勅を奉じて撰ぶ所なり」と書いた。

 現代これがおかしいと云う事になっているのだが、

 真相は逆で実は親王、

 安萬侶コンビは実際あった事なのだ。

 もう答えは見えているはず、

 執筆者Ⅹはずばり=天武天皇の第5皇子=舎人親王その人であったのだ。

 無記名で「事写古事記」を成立させ、

 720年

 今度は「名乗りをあげて」=「日本書紀・紀州巻系図を浮上」させた。

 母は天智天皇の皇女新田部皇女、元明・元正~聖武朝に重用され

 官位は695年(持統9)浄広弐から718年一品に至る。

 719年皇太子の輔翼に命ぜられ内舎人2人、

 大舎人4人衛士30人を賜い翌年5月奏上である。

 712年、720年両方に関与し

 各々「成立」「浮上」させた立役者としての親王の動きと、

 辞書にみる親王の履歴の中身とは、よく合致しているように思われる。

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