ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年10月5日水曜日
虚構ではなかった紀元前660年の我が国建国
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録21:3頁
《虚構ではなかった紀元前660年の我が国建国》
大学院講義録20号の年表には、もう一つ重大な我が国の建国問題が残っている。
「『日本書紀』が建国を紀元前660年だとしているのは大ウソだ」というのが、
明治以来の定説だからである。
『日本書紀』はそんなにもデタラメな『正史』で、無茶苦茶な史書だったのであろうか?。
ところがこの年表は、この大問題に、非常に適確な答を出してくれるのである。
660年の17年前、677年にフェニキヤが滅びている。
本来海洋民だったフェニキヤ人は、
そのため大移動して古代ギリシャ人に混入したのだから、
我が国まできた集団があった可能性もある。
カドモスが都市国家テーバイを建国し、
それを記念して新年に門松をたてる行事が今も続いているし、
他にも幾重にも証拠が見つかっているので、否定はできない。
またフェニキヤを滅ぼしたアッシリヤも
612年に新バビロン帝国に敗れて併合されている。
この新バビロンは625年に帝国になったが、
そのとき突然、国が生れたわけではない。
それ以前に小国時代がある。
その建国が660年で、それを建国時としたとしても無理ではない。
この場合もフェニキヤはバビロンの一部なのだから、
我が国にきたフェニキヤ人はその建国を自分たちの国の建国としていてもおかしくはない。
それが神武紀元とされた可能性がある。
いまでは、どこからみても
「660年建国はウソだ」とはいえなくなっているのである。
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