2011年10月1日土曜日

『記・紀』は7~8世紀の人達の知識と教養に立脚して書かれた

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録20:28頁
     言語復原史学会・隅田 真也

 《『記・紀』は7~8世紀の人達の知識と教養に立脚して書かれた

 知識と教養に立脚して書かれた(資料、情報等含め)。

 この事が忘れられがちである。

 先鞭をつけたのは、本居宣長かも。

 「Ⅹ」は上表のため序文を書いたのではない、

 日記風に…その点正直に文を綴っている。

 彼が遠慮勝ちに表現している音訓問題は漢字、

 文字使用方法における片鱗に過ぎない。

 話は変わるが。

 今手元に高校生程度の読む歴史書のコピーがある。

 大化の改新から壬申の乱の部分だが。

 その中で、

 「日本書紀が646年発布されたと記載する、改新の詔、

  班田収授法等の施行細則は「書記」が完成した時期の現行法である

  大宝律令によって潤色された物である事が確かめられており」と案内されていて

 非常に難解な文章である。

 大宝律令は701年成立である。

 681年日本書紀である。

 潤色の逆転ほかもっと史実判明の可能性がある。

 適切な例でなかったかもしれないが、例題を提出した意図は別にある。

 「近江令」「八色の姓」「浄御原令」「日本書紀」「大宝律令」世は

 律令国家建設時代に入り、

 律令の律は刑罰法、令は行政法。

 およそ人の世にあって「史書」と云うものの性格は、

 「単に過去の出来事を綴ったもの」ではないという事だ。

 天武天皇の言葉を…上古の諸事を「書き記せ」とは発言していない。

 「記して定めろ」と、定めるべきものは「法」「記して定めろ」とは

 国家の「大法令」の制定である。

 天皇はその一面をよく知っていた。

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