『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:28頁
言語復原史学会・隅田 真也
《『記・紀』は7~8世紀の人達の知識と教養に立脚して書かれた》
知識と教養に立脚して書かれた(資料、情報等含め)。
この事が忘れられがちである。
先鞭をつけたのは、本居宣長かも。
「Ⅹ」は上表のため序文を書いたのではない、
日記風に…その点正直に文を綴っている。
彼が遠慮勝ちに表現している音訓問題は漢字、
文字使用方法における片鱗に過ぎない。
話は変わるが。
今手元に高校生程度の読む歴史書のコピーがある。
大化の改新から壬申の乱の部分だが。
その中で、
「日本書紀が646年発布されたと記載する、改新の詔、
班田収授法等の施行細則は「書記」が完成した時期の現行法である
大宝律令によって潤色された物である事が確かめられており」と案内されていて
非常に難解な文章である。
大宝律令は701年成立である。
681年日本書紀である。
潤色の逆転ほかもっと史実判明の可能性がある。
適切な例でなかったかもしれないが、例題を提出した意図は別にある。
「近江令」「八色の姓」「浄御原令」「日本書紀」「大宝律令」世は
律令国家建設時代に入り、
律令の律は刑罰法、令は行政法。
およそ人の世にあって「史書」と云うものの性格は、
「単に過去の出来事を綴ったもの」ではないという事だ。
天武天皇の言葉を…上古の諸事を「書き記せ」とは発言していない。
「記して定めろ」と、定めるべきものは「法」「記して定めろ」とは
国家の「大法令」の制定である。
天皇はその一面をよく知っていた。
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