ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年10月25日火曜日
神武紀元は讖緯説(しんいせつ)だと否定した宣長や信友・那珂ら
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録21:21頁
好都合なので作家の林房堆氏著『神武天皇実在論』から引用させて戴くと
「平田俊春教授は『神武天皇紀の紀年の意義』と
『古代、中世における神武紀元の使用』の
二論文を書いておられる。
その趣旨を要約抜粋すれば、
「神武天皇の時代から少なくとも十数代は、
全く暦の行なわれなかった時代であるから、
紀年のない古事記的形態が書紀より古いものであり、
書紀の紀年は故事伝承をもとにして作為したものであることはいうまでもない」。
「神武天皇元年が讖緯説(しんいせつ)に基づいて、
西暦前660年に置かれている事は学会の定説になっている」
「この讖緯説は中国の道家の学説で、1260年ごとに大変革が起こり、
その年を辛酉(しんゆう)と甲子(こうし)とするものであるが、
これを日本にあてはめて神武元年を推定したのは、聖徳太子の時代であったと考えられる」
「神武紀元が讖緯説によって作為されたことは、
すでに本居宣長や伴信友によって論じられたことであるが、
那珂通世博士はそれを受けて、朝鮮史その他の紀年と参照して、
神武紀元は約六百年、不当に引きのばされていると判定し、
百歳以上の天皇や武内宿祢のような三百歳以上の重臣が現われているのは、
紀元延長の故だと論じた。
博士の説は進歩的陣営の学者たちによって大いに宣伝され、
影響をうけた中学教師などは、
生徒に神武紀元のデタラメと紀元節復活のナンセンスを理解させられる!』と喜んだ」
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