2011年10月25日火曜日

歴史家に総否認されてきた西暦前660年建国紀元


 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録21:22頁

 《歴史家に総否認されてきた西暦前660年建国紀元


 このあとに林氏は一つの私見として

 「神武天皇即位の年は『古事記』にはなかったので、
 
 『書紀』の編纂者たちは当時の暦学の最高水準と信じられていた

 讖緯説(しんいせつ)に立って、辛酉神武紀元を推定した。

 まさしく推定であって史実とはいえない。

 しかし那珂博士の短縮論も一つの推定であって、

 これを絶対視することはできない。

 那珂説をさらに二百年ほど短縮すべしという説も現われた。

 東洋大学の市村其三郎教授の説である。

 『神武東遷』を書いた安本美典教授は「数理文献学」という独特の学問の上に立って、

 「自分の説も市村説に一致する。

  つまり神武天皇は『日本書紀』の記載よりもずっと後代の人で、

  まず九州に国をつくって、それから大和に東遷した」と結論している。

 これもまた推測である。

 推測統計学、情報理論、確率論、因子分析法など

 コンピューターを利用した結論だそうであるが、

 果たしてそれが、生きた人間の歴史の解明に、

 どの程度の確率を示し得るものかと疑い、慨嘆している。

 この林氏の『私見』が史実を補う。

 明らかに卑弥呼当時は讖緯説(しんいせつ)は使っていない。

 紀元前660年 辛酉に限定したのは聖徳太子か『書紀』編者しかいない。

 この行為もまた史実である。

 しかしウソの紀元を捏造したという見方は間違っている。

 「先祖はその頃建国した」という確信した伝承があったからこそ

 讖緯説(しんいせつ)で権威づけしたのが、裏目に出ただけなのである。

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