2011年10月7日金曜日

不当に劣等視してきた自虐説『邪馬台国大和説』


 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録21:5頁

 《不当に劣等視してきた自虐説『邪馬台国大和説』

 だが、まだ、このフェニキヤ建国の可能性を疑う人々があるとすれば、

 今から3000年前に我が国の稲敷と中国の殷墟の双方に、

 全く同じ信仰による20を超す同じモチーフをもつ遺物『人面注口器』を遺し、

 正確な北緯36度線上に、

 この2地点を結ぶキッカリ2200kmの距離を測定し配置した

 凄い文明の持ち主・太古日本列島人の実在は動かないことをお教えしよう。

 紀元前660年より4世紀前といえば、今から戦国時代に遡る。

 その古い時代に稲敷の人は、

 すでにフェニキヤよりもさらに古いカルデア文明を、

 見事に使いこなしていたのである。

 在来の「常識」神武建国地・奈良の石余(いわれ)や橿原は、

 この海上の2200血の距離に比べれば近所といっていいほど稲敷に近い。

 殷の建国に遅れること4世紀以上経った660年にそこにある小村落を奪った、

 それが我が国の建国だといって誇るというのは、どう考えても余りにも野蛮で、

 落差がひどすぎる、侮蔑にも程があると憤りを覚える程だ。

 『邪馬台国大和説』は、その奈良に邪馬台国があったと主張しているが、

 その倭人が着ている衣服は、男女ともギリシャ衣装なのである。

 そんな文化がどうして奈良にあるのか?、その説では全然、説明できない。

 ところがギリシャやフェニキヤなどとの明白な交流を理解できている

 私たちは1つの疑惑も残さずに、すべて完全に納得でき、説明できるのである。

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