2011年10月26日水曜日

真相は年代ではなく数字による応神天皇の名乗り


 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録21:24頁

 《真相は年代ではなく数字による応神天皇の名乗り


 だからこの問題は、ここで止めてしまってはならないのである。

 なぜなら、いかに古代人だといえ、

 現代人でも手に余るような『日本書紀』を編纂した人たちが、

 そんなにも愚かな人揃いだったとは考えられないからである。

 彼等もそれがオーバーだ位いは解っていたはずなのに、

 それを敢えて記載したのには、

 思いつきや、出まかせではない「根拠」があったとみなければいけない。

 なぜなら『日本書紀』は個人が書きなぐった作品ではなく、

 多くの人が合議し、検閲し、推考を重ねて、

 すくなくとも推古天皇28年(620年)から、

 元正天皇養老4年(720年)まで、

 100年がかりで完成した歴史をもっているからである。

 ではその検閲をパスした根拠は何だったか?

 それは編者の誰かが新たに書きこんだものではなく、

 記録として木簡に書かれて実在していたという以外、

 他には考えられない。

 しかしそれを正しく読める者がいなかったから、

 この奇妙な年代が出来上がったのである。

 これを整理すると。

 その文字は数字だけで、「一七九二四七十」と書いてあったのである。

 これは「ヒナクニシナト」という名詞を写した当て字だったのだ

 漢字に直すと「日奴国、品都(シナト)」で、

 これは「肥の国 品都(ポントス)、

 もうよく御存知の通り、肥後の天草に本渡・栖本などの地名を残している

 応神天皇の「名乗り」の一つを、読み損なったものだったのである。

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