ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2011年10月26日水曜日
真相は年代ではなく数字による応神天皇の名乗り
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録21:24頁
《真相は年代ではなく数字による応神天皇の名乗り》
だからこの問題は、ここで止めてしまってはならないのである。
なぜなら、いかに古代人だといえ、
現代人でも手に余るような『日本書紀』を編纂した人たちが、
そんなにも愚かな人揃いだったとは考えられないからである。
彼等もそれがオーバーだ位いは解っていたはずなのに、
それを敢えて記載したのには、
思いつきや、出まかせではない「根拠」があったとみなければいけない。
なぜなら『日本書紀』は個人が書きなぐった作品ではなく、
多くの人が合議し、検閲し、推考を重ねて、
すくなくとも推古天皇28年(620年)から、
元正天皇養老4年(720年)まで、
100年がかりで完成した歴史をもっているからである。
ではその検閲をパスした根拠は何だったか?
それは編者の誰かが新たに書きこんだものではなく、
記録として木簡に書かれて実在していたという以外、
他には考えられない。
しかしそれを正しく読める者がいなかったから、
この奇妙な年代が出来上がったのである。
これを整理すると。
その文字は数字だけで、「一七九二四七十」と書いてあったのである。
これは「ヒナクニシナト」という名詞を写した当て字だったのだ
漢字に直すと「日奴国、品都(シナト)」で、
これは「肥の国 品都(ポントス)、
もうよく御存知の通り、肥後の天草に本渡・栖本などの地名を残している
応神天皇の「名乗り」の一つを、読み損なったものだったのである。
『My ブログ』
歴史徒然
ネット歴史塾
ウワイト(倭人)ウバイド
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史の画像
歴史学講座『創世』うらわ塾
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
メソポタミア世界
シュメル-人類最古の文明
The ETCSL project,Faculty of Oriental Studies, University of Oxford
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿