2011年10月2日日曜日

『日本書紀』は720年「成立」ではなくて「浮上」

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録20:29頁
     言語復原史学会・隅田 真也

 《『日本書紀』は720年「成立」ではなくて「浮上」

 さっきの話「法」は「ことば」によって成立している。

 現代でも同じである。

 「紀記」「万葉集」にしろ「ことば」によって「そこに何が書かれているのか」

 まずそれを読み取ることが大事である。

 さて「続日本紀(797)」は養老四年の条で

 『一品舎人親王、勅を奉たまわり日本紀を修。

  是に至功成り奏上紀州巻系図一巻なり』とあり、

 今までこの記事を読みマチガッテ720年日本書紀成立としてきた。

 しかし、先に答えを言うと。

 「真相」は、成立ではなく、打ち続く「戦争・戦乱の要請」による必要から

 「浮上」して来た事にあった。

 それは持統天皇以前から続く「蝦夷の反乱」が720年前後には激化し、

 柵戸(兵士)を集めて配置する。

 722年千人、776年二万人、789年討伐不能となる。

 791年政策転換、坂上田村麻呂を征夷大将軍にして懐柔策をとる。

 この「戦乱の要請」から「対処体勢、体制の再建」の必要性から、

 「日本書紀・浮上」の急務、機運に遭遇したのである。

 奏上が「紀」のみならず、紀州系図を伴っているのは意味深長である。

 元正天皇時代だが、元明天皇の動きとも関連している。

 翌年、講義、注釈の催し「日本紀講」がすぐ始まったのも「浮上」を裏づけている。

 「三十巻もの書記」と「系図」勅があってすぐ奏上できるものではない。

 「書写・奏上=浮上」だと思われる。

 親王はずっとそれを懐に暖めてきたのであった。

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