『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:29頁
言語復原史学会・隅田 真也
《『日本書紀』は720年「成立」ではなくて「浮上」》
さっきの話「法」は「ことば」によって成立している。
現代でも同じである。
「紀記」「万葉集」にしろ「ことば」によって「そこに何が書かれているのか」
まずそれを読み取ることが大事である。
さて「続日本紀(797)」は養老四年の条で
『一品舎人親王、勅を奉たまわり日本紀を修。
是に至功成り奏上紀州巻系図一巻なり』とあり、
今までこの記事を読みマチガッテ720年日本書紀成立としてきた。
しかし、先に答えを言うと。
「真相」は、成立ではなく、打ち続く「戦争・戦乱の要請」による必要から
「浮上」して来た事にあった。
それは持統天皇以前から続く「蝦夷の反乱」が720年前後には激化し、
柵戸(兵士)を集めて配置する。
722年千人、776年二万人、789年討伐不能となる。
791年政策転換、坂上田村麻呂を征夷大将軍にして懐柔策をとる。
この「戦乱の要請」から「対処体勢、体制の再建」の必要性から、
「日本書紀・浮上」の急務、機運に遭遇したのである。
奏上が「紀」のみならず、紀州系図を伴っているのは意味深長である。
元正天皇時代だが、元明天皇の動きとも関連している。
翌年、講義、注釈の催し「日本紀講」がすぐ始まったのも「浮上」を裏づけている。
「三十巻もの書記」と「系図」勅があってすぐ奏上できるものではない。
「書写・奏上=浮上」だと思われる。
親王はずっとそれを懐に暖めてきたのであった。
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