2011年9月30日金曜日

天武天皇と『日本書紀』

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録20:27頁
     言語復原史学会・隅田 真也

 《天武天皇と『日本書紀』

 天武天皇によって発動された、

 「国史編纂」「国史づくり」は、

 「壬申の乱」後の「中央集権国家建設」「国づくり」の過程の中で、

 「日本書紀」と云う「形」をとって、

 天皇在位中にその「成立」「完成」をみていた。

 この事実は「712年書写古事記」の序文がキチットその中身を告げていた。

 681年飛鳥浄御原令編纂が開始され、

 同年もうひとつ天皇は「記して定めよ」と決意、決断、下命した。

 「三月、大極殿に御して川嶋皇子ほかに詔して

  帝紀及び上古の諸事を<記して定めよ>大嶋子首、筆を執り以って録す」である。

 現代学者はこれを「日本書紀」の事と

 「勘ぐり」ながら今まで誰もそれを断定出来なかった。

 逆に「古事記」を800年代の作と見たりもした。

 しかし今「序文の正しい解読」によってその存在が証拠だてられてみると記事が

 「日本書紀」の事であるとハツキリ判明した。

 「続日本紀」の記事、720年「日本紀、系図、奏上」を

 「日本書紀」成立、成立年と間違って解釈したため混乱が起こって来たのである。

 681年「日本書紀」成立と言ってマチガイナイ。

 この存在があって、次の持統天皇は690年、即位するや否や、部族統率問題、

 蝦夷の反乱とか諸般の事情で、

 例の「十八氏纂記」を決行し「日本書紀」加筆を施したのである。

 その記事が「日本書紀」に散見され、それら部族のことは全部判明済みのはずである。

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