『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:27頁
言語復原史学会・隅田 真也
《天武天皇と『日本書紀』》
天武天皇によって発動された、
「国史編纂」「国史づくり」は、
「壬申の乱」後の「中央集権国家建設」「国づくり」の過程の中で、
「日本書紀」と云う「形」をとって、
天皇在位中にその「成立」「完成」をみていた。
この事実は「712年書写古事記」の序文がキチットその中身を告げていた。
681年飛鳥浄御原令編纂が開始され、
同年もうひとつ天皇は「記して定めよ」と決意、決断、下命した。
「三月、大極殿に御して川嶋皇子ほかに詔して
帝紀及び上古の諸事を<記して定めよ>大嶋子首、筆を執り以って録す」である。
現代学者はこれを「日本書紀」の事と
「勘ぐり」ながら今まで誰もそれを断定出来なかった。
逆に「古事記」を800年代の作と見たりもした。
しかし今「序文の正しい解読」によってその存在が証拠だてられてみると記事が
「日本書紀」の事であるとハツキリ判明した。
「続日本紀」の記事、720年「日本紀、系図、奏上」を
「日本書紀」成立、成立年と間違って解釈したため混乱が起こって来たのである。
681年「日本書紀」成立と言ってマチガイナイ。
この存在があって、次の持統天皇は690年、即位するや否や、部族統率問題、
蝦夷の反乱とか諸般の事情で、
例の「十八氏纂記」を決行し「日本書紀」加筆を施したのである。
その記事が「日本書紀」に散見され、それら部族のことは全部判明済みのはずである。
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