『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:13頁
《超古代海上コースはペルシャ湾→霞ケ浦=稲敷》
我が国へはインド商人だけが来ていたのか?。
『文化史年表』は、その「商人」が誕生した地域を、
冒頭でお話しした通りシアルクだと示唆してくれている。
その商人独特の慣習が、
大貿易港のベンガルに残り、江戸の魚河岸に残るのは、
やはりペルシャ湾→ベンガル湾→沖縄→東京湾→霞ヶ浦=稲敷という、
縄文時代の海上交易の名残だったのである。
だからギリシャの人たちも、
何の知識もない「世界の涯(はて)・日本列島」へ、
偶然やってきたわけではない。
ホメロスの作品や神話などとは別の、現実的な世界観の中で、
はるか東方に四季の鮮明な、
美しいホーライの女神たちの国にたとえられる
島があることを知っていたのである。
そして一(ひ)と足早く出適った台湾の環境につられて、
これこそホーライの国だと信じたために、
その名が後世、フオルモサと訳される時代まで生き延びていたのである。
でも中国人はその誤りを知っていた。
なぜなら、秦の始皇はそこへ仙薬を採りに行かせた。
命令を受けた徐福は、山東半島から東に向かって船出した。
その方向にあるのは朝鮮半島と日本列島しかない。
「蓬莱、方丈、瀛(えい)洲」の3仙境は
「北条」や「頴娃(えい)」という地名のある
日本列島にあったのである。
台湾へ行くのなら南の福建省へ行けば、見える程の位置にある。
いくら秦の時代でもそれくらいの知識はある。
彼等は本当の蓬莱を知っていたのである。
『文化史年表』
文化史年表
『CHRONOLOGICAL CHART』
CHRONOLOGICAL CHART
『ウワイト』
ウワイト
『ウバイド』
GoogleWeb検索
YahooWeb検索
YahooWeb検索
Google画像検索
Yahoo画像検索
言語復原史学会
言語復原史学会
『My ブログ』
歴史徒然
ネット歴史塾
ウワイト(倭人)ウバイド
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史の画像
歴史学講座『創世』うらわ塾
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
小林登志子『シュメル-人類最古の文明』:中公新書
メソポタミア世界
シュメル-人類最古の文明
The ETCSL project,Faculty of Oriental Studies, University of Oxford
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
0 件のコメント:
コメントを投稿