2011年9月18日日曜日

超古代海上コースはペルシャ湾→霞ケ浦=稲敷

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:13頁

 《超古代海上コースはペルシャ湾→霞ケ浦=稲敷

 我が国へはインド商人だけが来ていたのか?。

 『文化史年表』は、その「商人」が誕生した地域を、

 冒頭でお話しした通りシアルクだと示唆してくれている。

 その商人独特の慣習が、

 大貿易港のベンガルに残り、江戸の魚河岸に残るのは、

 やはりペルシャ湾→ベンガル湾→沖縄→東京湾→霞ヶ浦=稲敷という、

 縄文時代の海上交易の名残だったのである。

 だからギリシャの人たちも、

 何の知識もない「世界の涯(はて)・日本列島」へ、

 偶然やってきたわけではない。

 ホメロスの作品や神話などとは別の、現実的な世界観の中で、

 はるか東方に四季の鮮明な、

 美しいホーライの女神たちの国にたとえられる

 島があることを知っていたのである。

 そして一(ひ)と足早く出適った台湾の環境につられて、

 これこそホーライの国だと信じたために、

 その名が後世、フオルモサと訳される時代まで生き延びていたのである。

 でも中国人はその誤りを知っていた。

 なぜなら、秦の始皇はそこへ仙薬を採りに行かせた。

 命令を受けた徐福は、山東半島から東に向かって船出した。

 その方向にあるのは朝鮮半島と日本列島しかない。

 「蓬莱、方丈、瀛(えい)洲」の3仙境は

 「北条」や「頴娃(えい)」という地名のある

 日本列島にあったのである。

 台湾へ行くのなら南の福建省へ行けば、見える程の位置にある。

 いくら秦の時代でもそれくらいの知識はある。

 彼等は本当の蓬莱を知っていたのである。


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