2011年9月17日土曜日

我が国へきたインド「商人」のコースと生態

 『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:12頁

 《我が国へきたインド「商人」のコースと生態

 だからそこに書かれた古代文化は、国ごとに区切られていたのではない。

 在来の旧式観念が作り出した国境や地域とは関係なく、

 人々の移動・交流する範囲に広く広まっていた知識だったのである。

 それを象徴的に教える身近な事実をお話ししよう。

 私たちは魚河岸や株式の取引所で商談が成立すると、

 威勢よくボンボンと手打ちするのを、いかにも江戸っ子らしいとか、

 日本独特の風物詩だとか感じて釆た。

 15世紀初頭に書かれた『星瑳勝覧』という中国文献にも、

 この「手締(じ)め」を実際に見た記録が載っている。

 「商談が成立して価格が決まると、

  手を打って納めとし、後で紛争など起こさない」と書いている。

 まさにその通りだが、著者・費信が旅してそれをみた場所は日本ではない。

 「榜葛刺(ボカラ)国」で、現在のインドのベンガルだったのだ。

 これも商習慣という名が示す通り、古代商人が広めたもので、

 それがインド経由で我が国まできた証拠だ。

 それはその国名が倭の五王の名乗りにある

 慕韓(ボカラ)そのものだからである。

 しかしその名乗りにインドの地名は入っているはずがない。

 その時代には、それは朝鮮半島の弁韓以外ない。

 弁韓はべンカラで、我が国では紅をベニ・ベンガラ色という。

 沖縄のビンガタの原産地で、

 紅(ベニ)の語源はベンガルのベンだとわかる。

 インド商人は3世紀より前に、

 沖縄経由で朝鮮半島に弁韓国をつくっていたのである。

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