『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:25~26頁
言語復原史学会・隅田 真也
《『古事記』序文を素直に続んで》
A 序には、「併序」と云う表題がついている。
これは後世、後付けされたものではない。
証拠に序本文に「併」の同字使用があるのと、
この語句自体「日本書紀」に出典を持つのでそれが分かる。
表題は
① 安萬侶の「違う時期」に書き置いた文の提供とその寄せ集め的使用。
② 執筆者Ⅹは、安萬侶の文と自分の文(712年古事記作成の経緯、主願など)を
併せて序文を作成した。この二つの理由から、Ⅹは、正直に表題をつけたのだ。
B 「臣安萬侶言」「詔安萬侶」「臣安萬侶誠憧誠恐…」などの表現も素直に文を読めば
従来の校本がいかに間違っているか、分かるはず。説明は省略する。
C 安萬呂は序一で、本教(記)により
国生みし時を識、先聖(天武)によりて、神を生み、人を立てし世を察、と並記証言した後、
神武天皇の業績を称え「今に聖帝と伝う」と述べ、今度は、天武天皇の業績を称えている。
彼は同時代人の生き証人として、神武=聖帝=天武という「日本書紀」の内容図式を
明言しているのである。
彼の天武賛歌には二つの理由がある。
紙面の大半で天武を絶賛し、今上天皇にわずかその1/8の記述である。
これが許されるのは、天武天皇の日本書紀、業績評価の既確定と執筆者Ⅹの正体にある。
しかし彼も気を使っていて天智の娘今上天皇に対し(智海は浩汗として潭上古を探り)と
天武と対比させつつ意図を表現している。
智海=浩汗=天命開別=天智天皇であるのは云うまでもない。
元明天皇賛歌文の中で彼が「史不絶書」と賛辞したのは、女帝の天職、
本分だというのに史官が記録する事などとアホみたいな口訳をする者がいる。
D 天武天皇の詔「諸家のもたる帝紀…」云々は国史編纂のことであって
「古事記」撰録企画のことではない。阿禮への勅語は、あって当然。
E 「正先紀之謬錯」の「先紀」は「天武・日本書紀」の事。
F 序文執筆者Ⅹは元明天皇の命に従い安萬侶に言うて仕事をさせ
「712年書写古事記」を成立させ序文を書き遺した。
では何故自らは正体を現さず安萬侶の仕事として彼の「記名、日付」入りとしたか、
それには、ちやんとした理由がある。
Ⅹは元明天皇のたっての願いで消極的参画なのだ。
それは彼の「謹みて詔旨の随に、仔細に採り披ひぬ」の言葉に抽象されている。
だが天皇が人選するからには正しい人選である。
Ⅹの方では事を成しうる人物であると同時に、あまり成したくない立場、
この矛盾した立場にある人物であったという事である。
表面には出たくなかったと言う訳だが、
それにしても安萬侶記名とは?
その答えは次の序文の構成でスツキリ謎が解ける。
「大抵記す所……頓首頓首」までと、「日付」「安萬侶・記名」、
これは執筆者Ⅹに本文に添えて提出した彼の同文章をⅩが採用、
序文のしめくくりにそのまま転写したもの。
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