『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:10頁
《ギリシャ人がつくった前漢時代の東アジアの国々》
その実態が、先にお話しした大隅(ウースン)(烏孫)であり、
『五彩圏連邦』そのものであり、
高句麗の周辺に生まれた邑婁・夫余といった国々であり、
それがさらに生んだ匈奴であり、鮮卑であり、隋・唐政権でもあったのである。
それは時とともに姿を変えていったのだ。
それを朝鮮半島の王は「百済と高句麗は、ともに扶余から出た」と証言している。
扶余は
「扶養(ハヤ)の風=南風(ハヤ)」のハヤであり、ハヤ=海人=隼人、
すなわちギリシャ海軍の出身であり、隼人=大隅人だということなのだ。
その百済は出水とともに海神・ポセイドンが語源だった。
海神の名を選んでアンピトリテ?奄美、都井岬、取手。
ポントス→本都別→誉田別天皇。
アフロディテ→淡路島などという名を沢山のこしたのは、
ギリシャ人の海人たちだったと、
誰が考えてもすぐわかる言語文化財が大量に残っているので、疑いの余地はない。
だから在来の東洋史などにみる「騎馬民族」といった分類は根本的に誤りで、
多様な故郷から溢れ出た人々が好き勝手な方向に移動して土着しては、
不意にやってくる敵や異常気象に襲われて放浪する生活の繰り返しで
分散集合してしまっただけの違いしかない。
「何民族」といった固有の「民族」など存在しない。
もちろん時代が進むと同時に外敵に対する防御法として
民結して「私有地=国」を主張するが、
それは純血とか民族とかを意味しない。
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