『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:20頁
《高市の名が教える我が国の紀元は4千8百年!》
ではここで、本号の冒頭に見た疑問に結論をだしておこう。
その疑問とは明らかに倭王の名乗りをもった仁徳天皇のあとに、
高族、高句麗王のように見える名乗りをもつ安康・雄略の2天皇がいる。
という問題だった。
しかしそれは倭も高句麗も『五彩圏』連邦の1地方に過ぎず、
高は、我が国の出発点がシュメルからのカリエン大移動で、
指導者がスメラ王=スメラギそのものだったから、
天皇制は4800年以前に始まっていたと教えた。
そのカリエンの名は今なお活きてKorean=朝鮮人と訳されているが、
武の上表にある海北は半島地域で、
そこにいる人々も連邦国民だから、私たちとは人種差などない。
今の国境を古代史にまで持ち込んで混同していては、
正しい史実などわかるわけがないのである。
倭王・武が個人名のように、名乗りのあとに加えたのは、
倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓以外の本拠地が、
タケ=武=高だという意味である。
その倭王・武=雄略天皇は、
その高句麗からの政権略奪者・允恭天皇を倒して高(タカ)の国の都を取り戻したから、
そこをタケシと呼び、高市と名づけた。
だから倭国王であったことには変わりはなく、
シュメルからの伝統が、
カリエン=カウリエン(香里園)=皇統と、高の都市(高市)といった都名などが、
今もなお地名として残っていることで、ずっと守られていたことがわかるのである。
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