2011年9月24日土曜日

高市の名が教える我が国の紀元は4千8百年!

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録20:20頁

 《高市の名が教える我が国の紀元は4千8百年!


 ではここで、本号の冒頭に見た疑問に結論をだしておこう。

 その疑問とは明らかに倭王の名乗りをもった仁徳天皇のあとに、

 高族、高句麗王のように見える名乗りをもつ安康・雄略の2天皇がいる。

 という問題だった。

 しかしそれは倭も高句麗も『五彩圏』連邦の1地方に過ぎず、

 高は、我が国の出発点がシュメルからのカリエン大移動で、

 指導者がスメラ王=スメラギそのものだったから、

 天皇制は4800年以前に始まっていたと教えた。

 そのカリエンの名は今なお活きてKorean=朝鮮人と訳されているが、

 武の上表にある海北は半島地域で、

 そこにいる人々も連邦国民だから、私たちとは人種差などない。

 今の国境を古代史にまで持ち込んで混同していては、

 正しい史実などわかるわけがないのである。

 倭王・武が個人名のように、名乗りのあとに加えたのは、

 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓以外の本拠地が、

 タケ=武=高だという意味である。

 その倭王・武=雄略天皇は、

 その高句麗からの政権略奪者・允恭天皇を倒して高(タカ)の国の都を取り戻したから、

 そこをタケシと呼び、高市と名づけた。

 だから倭国王であったことには変わりはなく、

 シュメルからの伝統が、

 カリエン=カウリエン(香里園)=皇統と、高の都市(高市)といった都名などが、

 今もなお地名として残っていることで、ずっと守られていたことがわかるのである。

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