『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録20:16頁
《阿多国は嘉手納で、アテナヘの当て字》
沖縄は、近世には嶋津藩と中国の宋とに、
2重に服属するという複雑な歴史をもつように、
その支配者は変転を繰り返しているから、
本来はアテナだったものが、
それを嫌って後世に、
嘉手納という当て字に変えられたとしても不思議ではない。
ではアテナだとどうなるか?。
瓊瓊杵(ニニギ)の命の妃も神武天皇の妃も共に「アタノヒメ」である。
手は古音夕だからアタノは「阿手奴」と書かれてアテナへの当て字だったが、
それを「阿多之・阿多都(つ)・吾田津・吾田ノ」などと当て字したために、
「アタノ」の方が本当らしくなってしまったのである。
神武天皇妃のモデルは、『崇神天皇紀』の武埴安彦の妻・吾田媛だから、
夫とともに戦場へ行って戦っている。
この女神はアマゾンの象徴だから、女武者でありアマゾンだとすぐわかる。
だから天孫(てんそん)ニニギの尊というのは間違いで、
アマゾンとニニギの尊は、2つに分けて読まなければいけないのである。
阿多は鹿児島県の地名だから吾田媛はそこの出身だと従来は考えてきたが、
こうみてくると阿多囲も吾田囲もアテナへの当て字で、
そこは嘉手納でなければならない。
それが後世に鹿児島に移ったのである。
この阿多国・吾田国はまたアタマと読める。
アタマ=頭。
アテナは父の「頭」を破って飛び出した。
アタマという日本語にハッキリ関連が認められる。
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