2011年9月25日日曜日

イザナミの尊=幡梭皇女が立証する女王制の継続

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録20:21頁

 《イザナミの尊=幡梭皇女が立証する女王制の継続

 しかし、それではギリシャ人の政権はどうなったのだろう?。

 イザナギ、イザナミの男尊女卑事件で、

 履中天皇以後は女王制は無くなってしまったのだろうか?。

 それを否定するのはその履中天皇の皇后・幡梭皇女である。

 履中天皇は伊邪木和気でイザナギその人だから、

 この皇后が天の御柱を巡ったイザナミの尊、その人である。

 彼女は仁徳天皇と日向の髪長媛との間に生まれた皇女で、

 履中天皇は仁徳天皇の長男だから、腹違いの兄妹が結婚したのである。

 ところがこの皇女は『釈日本紀』巻第四の「帝室系図」には

 仁徳天皇の后妃皇子女のところに「先履中后、後雄略后」と注釈が書いてある。

 雄略皇后にもなったというののだ。

 すると、この当て字の正しい読み方がわかってくる。

 この幡梭皇女は『古事記』が波多毘能若郎女と書くので、

 在来はハタビと読むことになっていた。

 しかし夫の名乗りは大長谷で大は倭だからハセである。

 その都の跡も長谷と呼ばれている。

 だとすると、この幡梭は幡はハタだから頭音ハ、梭はサだから南九州語ではセ、

 ハセ=長谷への当て字だとわかる。

 この史実で、この名乗りが雄略天皇の皇后のものだというのは真実だと断定できる。

 しかし仁徳天皇は425年に宋へ最後の使者をおくったが、

 雄略の上表は478年で53年後である。

 仁徳の皇女なら80才以上になっていて、とても雄略の皇后にはなれない。

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