2012年4月27日金曜日

安部氏が阿毎(アベ)前天皇=俀国(ダイこく)のダイコク様



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学院講義録27:32頁


 『安部氏が阿毎(アベ)前天皇=俀国(ダイこく)のダイコク様
 「安部氏が阿毎(アベ)前天皇=俀国(ダイこく)のダイコク様

 『日本書紀』は

 大化改新の敗者を蘇我入鹿だとしているが、

 その真相はもう御存知である。

 改新前には<ダイオウ>=俀王は愛媛県の宇和にいた。

 聖徳太子の<ウワノミヤ>=<上の宮>はそれを記録している。

 俀王の姓は「阿毎」だった。

 この毎の字の隋の発音は「ベ」で、沖縄語では「パィ」。

 <裴世清>の耳には「アベ」と聞こえたのである。

 ところが大隅語では毎は「マイ」、

 薩摩語では「メ」と発音するから「阿毎」は<アメ>。

 天を<アメ>と読ませる

 『日本書紀』は薩摩語で書かれていることがわかる。

 『記・紀』に登場する「天」の名乗りは、

 『隋書』が書く通り皇族を示す名乗りである。

 <安部>・<阿部>と書く当て字は<裴世清>が聞いた発音通りである。

 いま出雲におられる安部さんたちは、

 まぎれもなく俀国様=<大国主>の尊の直系で本家なのだ。

 『三国史記』は入鹿を泉蓋蘇文と書く。

 泉は出水(イズン)、

 それが島根県へ行ったから

 出雲(イズン)という国名が生まれたのである。

 生きていた入鹿が出雲へ移った<大国主>なのだ。

 これが『日本書紀』の書く『国譲り』の中核。

 最も書きたくて、しかも書けなかった史実の真相なのである。

 天智天皇は入鹿を殺していない。

 彼は建国以来の天皇憲章を守っている。

 <泉蓋蘇文は高句麗の支配者>で

 <天智天皇は日本国十半島新羅の支配者>である。

 <斉明天皇は倭国の支配者>で山奥の飛鳥に逃げていた。

 これが「倭国と日本」統一直前の真実の姿だったのである。

 『参考』
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