ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月27日金曜日
安部氏が阿毎(アベ)前天皇=俀国(ダイこく)のダイコク様
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:32頁
『安部氏が阿毎(アベ)前天皇=俀国(ダイこく)のダイコク様』
「安部氏が阿毎(アベ)前天皇=俀国(ダイこく)のダイコク様」
『日本書紀』は
大化改新の敗者を蘇我入鹿だとしているが、
その真相はもう御存知である。
改新前には<ダイオウ>=俀王は愛媛県の宇和にいた。
聖徳太子の<ウワノミヤ>=<上の宮>はそれを記録している。
俀王の姓は「阿毎」だった。
この毎の字の隋の発音は「ベ」で、沖縄語では「パィ」。
<裴世清>の耳には「アベ」と聞こえたのである。
ところが大隅語では毎は「マイ」、
薩摩語では「メ」と発音するから「阿毎」は<アメ>。
天を<アメ>と読ませる
『日本書紀』は薩摩語で書かれていることがわかる。
『記・紀』に登場する「天」の名乗りは、
『隋書』が書く通り皇族を示す名乗りである。
<安部>・<阿部>と書く当て字は<裴世清>が聞いた発音通りである。
いま出雲におられる安部さんたちは、
まぎれもなく俀国様=<大国主>の尊の直系で本家なのだ。
『三国史記』は入鹿を泉蓋蘇文と書く。
泉は出水(イズン)、
それが島根県へ行ったから
出雲(イズン)という国名が生まれたのである。
生きていた入鹿が出雲へ移った<大国主>なのだ。
これが『日本書紀』の書く『国譲り』の中核。
最も書きたくて、しかも書けなかった史実の真相なのである。
天智天皇は入鹿を殺していない。
彼は建国以来の天皇憲章を守っている。
<泉蓋蘇文は高句麗の支配者>で
<天智天皇は日本国十半島新羅の支配者>である。
<斉明天皇は倭国の支配者>で山奥の飛鳥に逃げていた。
これが「倭国と日本」統一直前の真実の姿だったのである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
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