ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月25日水曜日
祭神たちは移住支配者が南九州から持ちこんだ神々
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:30頁
『祭神たちは移住支配者が南九州から持ちこんだ神々』
「祭神たちは移住支配者が南九州から持ちこんだ神々」
5 山陰の出雲が南九州の出水から分かれて大国化したことは、
疑いの余地がない。
6 すると地名も、領主たちも、
南九州からの移民である。
その地域を支配したのは土着の人たちではなく、
元・南九州人たちである。
その人たちが祀ったのは南九州の神であり、
それは皆、支配者たちの肉親や祖先たちであって、
出雲の先住民の肉親ではない。
7 さらに<素戔嗚>と<大国主>は、
ともに他からの移住者である。
これで判定すると出雲へ移ってきたのは位宮と卑弥呼とその一族か、
その子孫たちである。
8 その伝承は時代の異なる2神が、
どちらも外部から移住してきているから、
<素戔嗚>だけが移住して来て
<大国主>は出雲生まれだとする説は完全に間違っている。
これは<素戔嗚>の八俣大蛇退治を出雲での事件だとする
解釈が根本的に間違っていることを立証しているし、
<大国主>の国譲り事件も、
明らかに出雲以外の事件で、
その後に出雲に移住して来ている。
9 出雲各地にある、
この2事件関連の人物を祀る神社や住居址は、
後世に作られたもので、
そこに本人が住んで事件があった史実の遺跡ではない。
10 これは南九州の事件である
<位宮>と<卑弥呼>と<壹與>の史実が、
<浦島太郎>・<桃太郎>・<赫夜姫>のお伽話になって、
丹後や木曽・陸奥・京都で、
地元の事件として語られるのと同じである。
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿