ブログのタイトル「大学院講義歴史(創世紀)」は、 日本は平成から西暦2019年に元号が令和に御代代わりしました。 また20世紀も20年前に終わりました。 21世紀は日本にとっても私にとっても「黄金の世紀」です。 「黄金の世紀」に向ってそれぞれが邁進しましょう。 第二次世界大戦(日本にとっては大東亜戦争)が終了して75年目を迎えました。 更に2018年は明治維新からは150年になります。 この間の19世紀20世紀の日本の諸外国との政治外交の歴史は 事により未だ不透明な霧に覆われたままであります。 現在、日・中・韓で歴史認識が問題になっていますが それぞれの当時国が真実の歴史は何であるかの認識にたって 真剣に物事を考え、発言しないと言うだけでは問題の解決にはならない。 令和2年4月吉日
2012年4月15日日曜日
記・紀』のもつ機能は高度文明の生んだ哲学の産物
『出典』言語復原史学会・加治木義博:大学院講義録27:20頁
《『記・紀』のもつ機能は高度文明の生んだ哲学の産物》
「『記・紀』のもつ機能は高度文明の生んだ哲学の産物」
これと同じ筆法で、
人皇時代に入っても、
神武天皇の皇太子・多芸志(タケシ)耳の横暴と、
それを倒した弟の綏靖(すいぜい)天皇の即位の正当性。
仁徳天皇皇后の石比売の嫉妬話。
墨江中王の反逆など、
帝王学の教科書として必須の題材が並べられている。
それは、これを犯すとどういう結末がくるかという<神託>であり、
<予言>であり、<判例集>であり、<皇族全部の教科書>でもあったことが、
もうよくおわかりだと思う。
それは神代の部分だけの機能でも、役割でもない。
しかし仁徳天皇は国民の貧窮を炊事の煙の量で察知し、
免税して自分も空腹に耐えたと、
天皇とは、どうあるべきかを教える教材になり、
それによって、せっかく繁栄がもたらされたのに、
愚かな子孫の安康天皇や武烈天皇が、
権力を乱用して身を滅ぼし、
天皇家を衰微させたという実例も挙げている。
そして僅かに手白髪皇女によって万世一系が保たれ、
<婿養子として入籍した継体天皇>が、
応神天皇の5世孫だったと、
皇位継承法の法規と教科書になっているだけでなく、
天皇制を維持するためには血の問題がいかに大切かを強調している。
こうしたことを見ると、
『記・紀』は、諸外国の単なる史実記録より、
一段も二段も上の思想体系が働いた、
高度文明の持ち主による政治の在り方、
帝王というものの存在理由まで思考した、
非常に高度の『哲学』の産物だったことが、
よくご理解戴けたと思う。
『参考』
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『言語復原史学会:画像』
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